
1995年のアメリカ映画「アウトブレイク(Outbreak)」は、感染症によるエピデミックをテーマにした作品である。エピデミックをテーマにした映画といえば、日本では、瀬々敬久の「感染列島」があげられるが、この映画はその原型ともいえるもので、エピデミック映画の古典といってよい作品である。
エボラ出血熱を思わせるような感染症の恐怖が描かれている。「感染列島」でも、同じような症状が描かれていたから、エボラは怖い感染症の代名詞のようなものとして認知されていたのだろう。皮肉なことに、この映画が公開された年に、実際エボラ出血熱がアフリカのザイールで爆発的に流行したのである。
この映画の中の感染症も、アフリカのザイールが発進地ということになっている。その発進地から感染が拡大することを恐れた米軍は、患者から研究のための検体を収集すると、村ごと消滅させてしまう。ところが、この村の付近で捕獲された一匹の猿がアメリカに密輸され、その猿を通じて感染が拡大するという設定になっている。
感染が広がったのは、とりあえず西海岸の人口2800人ほどの小さな町。感染の初期に、米軍医療班の医師将校ダニエルス(ダスティン・ホフマン)が訪れる。かれは実は、実直な性格から上司に疎まれ、閑職に飛ばされるはずだったのだが、勝手に現地に赴いたのだった。そこからかれの感染症との戦いが始まる。その戦いは米軍当局との戦いに発展する。というのも、米軍は感染が全米に広がることを恐れ、村ごと抹殺することを企んだからだ。ザイールの村を殲滅させたのと同様、この小さな町を殲滅させれば、アメリカ全体が救われるという理屈からだ。かつては同じような理屈で、広島や長崎が殲滅された、というメッセージも伝わってくるように作られている。だからこの映画は、感染症対策への警告であるとともに、非情な権力への批判にもなっているわけである。
「感染列島」では、日本全体が崩壊の危機に瀕するさまが描かれていたが、この映画では、感染は小さな町に抑え込まれる。町を封鎖したことと、ダニエルスの努力で、早めに抗体の精製が可能になったことが働いた。ともあれ、こういう決着のさせかたは、日米間のセンスの相違を物語るのかもしれない。
ダスティン・ホフマン演じる医療将校が、スーパーマン的な活躍を見せる。権力を恐れず、自分の信念を貫き通すところは、クリント・イーストウッド演じるダーテー・ハリーを思わせる。こういうタイプの人物は、日本では決して見られないものだ。
ホフマンの元妻もCDCの医療スタッフとして活躍する。CDCはトランプ政権下では活躍の機会を与えられないで、コロナの爆発的な感染を防げなかったが、この映画が作られた時代には、まだ大きな役割を期待されていたわけだ。その妻もウィルスに感染する。だがダニエルスが精製した抗体のおかげで一命をとりとめるのだ。かれらはそれをきっかけに、ふたたび結婚生活を始めることとなるだろう。
監督のヴォルフガング・ペーターゼンはドイツ映画の出身で、「Uボート」の監督として有名である。
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