満蒙逃避行:安部公房「けものたちは故郷をめざす」

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小生が小説を読む場合、具体的な土地についての言及があれば、かならず地図で所在を確認したり、その土地の歴史的背景など周辺的な情報を集める癖がある。そうすることで、小説を一層深く味わうことができると思い込んでいるからだ。安部公房の「けものたちは故郷をめざす」も例外ではなかった。小生は、満蒙を舞台にしたこの小説を、中国分省地図を傍らに置きながら読み、具体的な地名が出てくるたびに、その所在をたしかめたものだ。

最初に出て来るのが巴哈林だ。主人公の久木少年は、ここで敗戦を迎え、その直後に父親を、ついで母親を失って、天涯孤独の身になり、なんとか日本に帰ろうと考えるようになる。その巴哈林とはどこにあるのか。小説の雰囲気からして、満州のかなり北の方、ソ連国境からあまり離れていないところらしい。ところが分省地図の黒竜江省や内蒙古の部分を開いて見ても、該当する土地が見当たらない。中国版の検索マシンで検索してもそれらしき情報は得られない。もしかしたら架空の町の名かもしれない。安部はこの小説の中で、基本的には実在する土地の名をそのまま使っているのだが、巴哈林は例外的に架空の名なのかもしれない。

久木少年は、巴哈林から安東行の列車に乗り込む。安東とは朝鮮の安東だろう。そこへは、吉林省の白城を経て、遼寧省の鉄嶺の付近を通っていくと言われている。そのことから巴哈林は白城より北に位置していることがわかる。そこで地図で白城から北に延びている鐡道線路にあたると、白城から二百キロばかり北に昴昴渓という駅がある。小説では、巴哈林から汽車で二時間ほど北へ行くと昴昴渓に着くと言っているから、巴哈林はその昴昴渓と白城の間にあるということになる。吉林省と黒竜江省の境付近、泰来あたりではないか。巴哈林には800人以上の日本人が住んでいたと書いてあるから、相当の規模の町のはずだ。

列車は八路軍がエスコートしていたものだが、途中で国府軍らしきものに襲われる。場所は,明示されてはいないが、文脈からして、白城の北らしい。ここで列車自体は出発駅に戻ることとなるが、乗客の大部分はトラックに乗って長春へ向かうことになる。だが、久木は別の行動をとった。列車に同乗していた汪という男に誘われて、別の道をとって日本をめざすことにしたのだ。久木少年には確たる信念はなかったが、汪が執拗に誘い、またその方向が南をめざすものだったので、とりあえず南をめざせば日本に近づくことができるのではなかと考えたのであった。

列車の難破地点から南をめざして進む道は、広漠として人の気配のない土地だった。ときおり獣とあうだけで、人間にあうことはない。その荒野の描写を読むと、満蒙の境界近辺は砂漠に近い不毛の土地だというふうに伝わってくる。この不毛の土地をかれらは十日以上かけて歩く。その間に,汪は偽名で、本名は高だと打ち明ける。母親は日本人だというのだ。彼は結構頑丈な様子に描かれているが、それでも列車事故の時に負った怪我がもとで、体が疲弊している。久木少年はたびたび高が死ぬのではないかと思うのである。

やっとの思いで、かれらは科爾泌左翼中旗という名の町に着く。それについては、現地の土民との間に悶着があったが、ここでは触れない。この科爾泌左翼中旗という土地は、内蒙古と吉林省の境目辺りにある、長春からはほぼ真西にあたる。科爾泌左翼のすぐ北側に科爾泌右翼という土地があるが、そこは有名な葛根廟事件が起こったところだ。葛根廟事件というのは、敗戦を知って日本を目指した大勢の人々が、ソ連軍に襲われたというもので、その際に女子供や老人千人以上が虐殺されたという陰惨な事件である。そのことを安部は、ストレートには触れていないが、付近で目にした日本人家族のミイラについて語っている。そのミイラは子供を含む五人家族のもので、ミイラの傍らには、次のような無念さをにじませた書置きが置かれていた。

「ムネン ミチ ナカバニシテ ココニ ワレラ ゼンイン ネツビョウニテ タオル 二十一ネン ナツ ミズウラ タケシ ホカ 4メイ」

文面から見て、葛根廟事件とは関係がないが、その運命の悲惨さは劣るものではない。

科爾泌左翼中旗には国府軍が進駐していた。高は国府軍の将校と談判して、トラックで瀋陽まで送ってもらうことになる。瀋陽は、戦時中は奉天と言って、安部自身が居住していたところである。だから土地勘は十分なのだろう。町の様子が結構生き生きと描かれている。この町でしかし久木少年は、頼りにしていた日本人から冷酷な仕打ちを受けるのである。高には巧妙に騙され、親切ごかしの日本人からは、打算的な思惑をぶつけられるのだ。

ともあれ久木少年は、瀋陽からトラックで遼東湾に向い、とある港町を起点にして遼東半島を横断し、さる小さな港に到着する。そこから船に乗って日本をめざそうというのだ。その港がどこにあるのか、小説は明示していない。どうやら密輸の拠点になっているらしい。久木少年らがその港についたのは、昭和23年2月頃のことで、まだ国共内戦中であり、日本は中国との間に正式な国交がなかったから、民間人同士の貿易は密輸にならざるをえなかったわけだ。その密輸船のなかで、久木少年は意外なことを知り、それがもとで、自分の命の危険を感じる。この小説は、殺されるかもしれないという、久木少年の恐怖の叫びで終わるのである。






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