華厳経の構成

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華厳経がいつ成立したかについては定説がないようだが、中観派の祖龍樹が華厳経十地品についての注釈書を書いていることから、その一部は2世紀頃には成立していたと考えられる(最終的な形のものは4世紀頃だろうと思われる)。現存する華厳経の経典は、十地品と入法界品が最も古層に属するものと思われ、この二つを中心にして多くの経典が集まって構成されている。その漢訳は二種類あるが、サンスクリット語の原点は、十地品と入法界品を除いて現存しない。また、漢訳には、東晋時代の仏陀跋陀羅による60巻本(旧訳)と唐時代の実叉難陀による80巻本がある。今日よく読まれているのは60巻本のほうである。

経典全体の趣旨は、毘盧遮那仏の悟りの内容を、普賢菩薩と文殊菩薩のはからいによって、衆生のために説き明かすというかたちになっている。涅槃教が、涅槃の境地に際しての仏の悟りの内容を説き明かすのに対して、こちらははじめて悟りを得た時の内容を説き明かしているわけである。

ここでは60巻本によって、華厳経の構成を見てみたい。全体は34品から構成されている。もっとも重要なのは、菩薩の修行の段階を説いた十地品と善財童子を通じて実践的な求道の足跡を物語る入法界品である。これに仏の命のあらわれを強調する性起品を加えることもできよう。

34品は、説法の会座に応じて八会に分類される。会座というのは、説法が行われる場所のことで、第一、第二は地上の会座、第三から第六までは天上の会座、第七、第八は再び地上の会座に移る。天上の会座はさらに、忉利天宮会、夜摩天宮会、兜率天宮会、他化自在天宮会、普光法堂会からなっている。説法はまず地上から始まり、天上に移ってからは、低い段階から次第に高い段階に移り、再び地上に戻って、最後は入法界品で締めくくられるという構成になっている。

以上は経典の形式的な構成であるが、各品の実質的な内容に応じた分類・構成を、上山春平が龍山章真を援用しながら提起している。それによれば、34品は序文(第一、第二品)、本文(第三~第33品)、結文(第三十四品)に分けられ、本文はさらに、(一)文殊経典(第三~第八品)、(二)十地品を中心とする経典(第九~第二十二品)、(三)普賢経典(第二十三~第三十三品)の三つに分けられる。

文殊経典とは文殊菩薩が中心となっておこなわれる説法を収め、普賢経典とは普賢菩薩が中心となっておこなわれる説法を収めたものである。それに対して(二)の経典類は、法慧、功徳林、金剛幢、金剛蔵の各菩薩が、それぞれ、十住、十行、十廻向、十地を説く形をとっているが、十住、十行、十廻向は十地の方便位として十地から開かれたものであるから、これらの中心をなすのは十地品ということになる。その十地品は、(二)の最期にあたる第二十二品に相当する。

これを言い換えると、華厳経の本体部分は、十地品を中心にした(二)の部分を中核として、その前後に文殊経典と普賢経典を配したということになる。十地品の目的は、菩薩の修行の団塊を説きながら、華厳思想の眼目としての三界唯心思想を説くことにあるが、文殊経典はそれに先行して、理論知の象徴たる文殊菩薩を主役として、歴史的に華厳思想に先行する般若の空の思想を再確認し、普賢経典は三界唯心思想を踏まえながら、実践知の象徴たる普賢菩薩を主役として、華厳独自の菩薩の理想的なあり方が説かれているということになる。

こうしてみると、華厳経は、一見雑多な経典の寄せ集めのように見えるが、実際には、各教典が一定の見地から互いに密接に結びつき、全体として一つの有機的な体系を形成していることがわかる。その有機的な体系が解き明かそうとしているのは、人間にはそもそも仏性が宿っているということであり、したがって、善財童子のように、凡夫のまま生きながらにして仏になることができるということである。言い換えれば、そうした仏性のあり方を菩薩の立場から解き明かそうとするものが華厳経の目的であると言える。






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