小島晋治、丸山松幸「中国近現代史」

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小島晋治、丸山松幸共著の岩波新書版「中国近現代史」は、1840年の阿片戦争から1980年代初頭までの中国近現代の通史である。日本の近現代史は、1853年のペリーの黒船来航から始まるわけだが、中国はそれより十数年前にイギリスとの戦争に敗れたことで、いやおうなく西洋諸国の圧力にさらされるかたちで近代史への扉を開かされたといえる。その後日本は西洋からの圧力に耐え、独立国家としての面目を保ったのに対して、中国は半植民地化され、苦難の歴史を歩んだ。その違いはどこから来たか。この本はそんな疑問に一定程度答えてくれる。

中国が半植民地化された最大の原因は、中国人が国民として一体化していなかったということだろう。清朝は満州族という異民族による支配の体制だった。異民族が中国を支配するということは、歴史上珍しいことではなく、むしろ根深くビルトインされていたといってよいが、その結果中国にはもともと支配の正統性をめぐって独特の論理が形成されてきた。その論理は、支配を理屈によって正当化する方向に働き、民族とか血とかいった理屈以前の情動的な部分に働きかける面は相対的に弱かった。そのことが中国人の国民としての一体感の形成をはばみ、強固な愛国心とか強烈な国家意識といったものの成熟をはばんだことは否めない。その結果、西洋諸国からの圧力に、国をあげて立ち向かうということにならなかった。その挙句に、なすすべもなく半植民地化されていったということだろう。

中国の半植民地化のプロセスには、日本も深くかかわっていた。中国はすでに阿片戦争の敗北によって西洋列強のつけいるところとなっていたわけだが、それでもまだ遠慮があった。西洋列強が遠慮を捨てて仮借なく中国を侵略するようになるのは、日清戦争の敗北を契機にしてである。この敗北を通じて、中国つまり当時の清朝は、統治能力がないと見なされ、国家としての面子を全面的に失ったと見てよい。

中国が近代国家として生まれ変わるには、清朝の支配を終わらせ、漢民族主体の民族国家を確立する必要があった。その要請に応えたのが孫文だった、ということがこの本の主張である。孫文の意義は、三民主義などの近代的な政治思想もさることながら、基本的には漢民族主体の国家構想を示したということだろう。じっさい中国のその後の歴史は、孫文の示した構想にしたがって展開していったのである。孫文が死んだ後は、蒋介石と毛沢東が覇権を争ったが、二人とも孫文の正統な後継者であることを前面に押し出したのである。

毛沢東による国づくりは、遅れた中国社会に社会主義モデルを適用する試みととらえる見方も当然あるが、基本的には中国を近代的な国家に仕立て上げる試みと見たほうがよさそうだ。中華人民共和国の建国精神は、社会主義国家の樹立ではなく、民主主義国家の建設だったわけで、なによりも中国の近代化を目的としていた。ところが毛沢東というのは強烈な個性の持ち主でもあり、また権力闘争の圧力もあったりして、次第に性急な社会主義路線に傾いて行った。1950年前後の大躍進政策とか1960年代後半以降の文化大革命といった逸脱は、毛沢東の個性に根差すところが大きい。同じく社会主義路線を追求したスターリンのソ連と比較すると、毛沢東の中国にはおおらかさを見ることもできる。中国でもいわゆる反革命分子の弾圧は起きたが、スターリンの粛清に比べれば微温的だということができよう。

毛沢東死後の動きは、鄧小平を中心にして、中華人民共和国の建国精神に立ち戻ったとみることができる。社会主義国家を目指す以前に、遅れた中国を近代的な国家に作り替えることが先決だというわけである。その路線はある程度成功して、中国は経済的には躍進することができた。しかし、貧富の格差を始めとした社会的なひずみも生じてきた。この本が刊行されたのは1986年のことで、まだ天安門事件はおきていなかったが、天安門事件の要因となった中国社会の矛盾はすでに目立つようになっていたというふうに伝わって来るように書かれている。

なお、この本を読んでいま一つしっくりしないのは、中国がいかにして半植民地状態を脱却して、完全な独立を達成したかということだ。大戦中の中国は、国民党政府が連合国の一員となって反日闘争を戦ったということになっており、その闘争に勝つことで、日本の侵略にとどめをさし、併せてほかの列強からの侵略も終わらせたと言いたいようである。一応そのとおりかもしれないが、そのはかにも、大戦後における冷戦の進行とか、色々な事情が働いたのだと見ることができるのではないか。





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