夜警:レンブラント

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今日「夜警」の通称で知られるこの絵は、正式には「フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ヴァン・レイテンブルフ副長のひきいる部隊」という。部隊とは、当時オランダに存在した市民軍の一部である。この市民軍は、対スペイン独立戦争で大活躍したのだったが、戦争が終わったあとも、引き続き維持され、いざというときに備えていたのだった。市民軍はいくつかの部隊からなっていたが、そのうちの一つからレンブラントに集団肖像画の注文があった。注文主は、フランス・バニング・コックである。コックは俄か成金で、豊かな財を持っていた。その金でレンブラントに自分が属する市民軍部隊の集団肖像画を描かせたのであった。かれの部隊に限らず、ほかの部隊も競って自分たちの集団肖像画を描かせたそうである。

この作品は、レンブラントの最高傑作とされる。それまでの彼の画業の集大成であり、また新たな始まりでもあった。光を巧みに利用した深い陰影対比、物語性を強く感じさせる人物の動き、克明かつ詳細な筆使いによるリアルな表現といったものが、高い完成度を以て見る者に迫って来る。一人レンブラントの傑作たるにとどまらず、人類が達成したもっともすぐれた絵画表現と言えるのではないか。

完成した絵は、市民軍の本部に飾られたが、余りに大きすぎて予定されていた枠組の中に入りきらなかった。そこで上を25㎝、下を15㎝、左を30㎝、右を10㎝ほど切り取らなくてはならなかった。そのため画面の左右に配置された隊員は、体の一部分を切り取られるはめになったが、それでも身体の一部を残すことはできた。登場人物は16人いるのだが、かれらは自分の露出度に応じて、代金の一部を支払ったということである。

後に「夜警」と呼ばれるようになったのは、顔料が退色して画面が暗くなり、それが夜を連想させたからだ。もともと夜警の様子を描いたわけではない。市民軍があたかも出陣しようとするところを描いたのである。すなわち中央にいるコック隊長が、傍らのレイテンブルフ副長に出陣を促すと、他の隊員たちも呼応して、出陣に向けて身構える、そんな様子をリアルに描いたものなのだ。

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これは画面の一部を拡大したもの。大きな旗を掲げた隊員と、その傍らの兜をかぶった隊員の隙間から男の目玉がのぞいて見えるが、これはレンブラントの自画像である。

なお、この作品の完成と前後して、最愛の妻サスキアが、30歳の若さで死んだ。死因は結核だったようだ。レンブラントは、生まれて間もない子供ティトゥスと二人きりで、残されたのである。そのティトゥスのために、頑丈な農婦ヘールトヘを乳母として雇った。やがて彼女を愛人にするのである。

(1642年 カンバスに油彩 363×437㎝ アムステルダム、国立美術館)






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