資本の集積と集中:資本論を読む

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資本の蓄積は、剰余価値を資本に転化することによって促進される。資本の蓄積は資本の集積を生む。資本の集積とは、資本が外延的に拡大することを意味する。要するに資本の絶対的な量が増大することである。資本論第七編「資本の蓄積過程」は、資本の集積が労働に及ぼす影響を主として考察する。

資本の蓄積への欲求は、当然労働力への需要を増大させる。資本の蓄積への欲求が労働力または労働者数の増大を上回り、労働者に対する需要がその供給を上回れば、労賃が上がるということもありうる。労働力といえども、その価格は需給関係によって規定されるからである。ともあれ、資本の蓄積への欲求は、一定の時点で労賃の上昇をもたらすわけである。かくして、「資本の蓄積はプロレタリアートの増殖なのである」とマルクスは結論付けるのだ。資本の蓄積への欲求が、労働力への需要の増大をもたらし、それを通じてプロレタリアートを増殖させるというわけである。

ただ、資本の蓄積への欲求が労賃の無制約な上昇をもたらすわけではない。それには限度がある。利潤つまり剰余価値のほとんどを労賃が食ってしまうというわけにはいかない。資本の唯一の動機は、剰余価値の取得にあるから、それが無理なようでは、資本主義的生産は成り立たないのである。したがって、「資本の蓄積につれて労働の価格があがるということが実際に意味しているのは、ただ、すでに賃金労働者が自分で鍛え上げた金の鎖の太さと重みがその張りのゆるみを許すということでしかないのである」

資本の蓄積がもたらす労働の価格の上昇は、次の二つの場合のどちらかだとマルクスは言う。一つは、労働の価格の上昇が蓄積の進行を妨げないのでその上昇が続くという場合である。利潤つまり剰余価値が減少する場合でも資本は増加する。それは以前より急速にさえ増加する。投下資本に対する利潤の相対的な割合が減少しても、その絶対的な額が増大する限り蓄積は続くのである。

二つ目には、労働の価格の上昇の結果、利潤の刺激が鈍くなるので、蓄積が衰える。蓄積は減少する。しかしその減少につれて、その減少の原因はなくなる。すなわち資本と搾取可能な労働力との間の不均衡はなくなる。

一つ目の場合には、資本の増加が搾取可能な労働力を不足させ、二つ目の場合には、資本の減少が搾取可能な労働力を過剰にさせる。この場合主導的な役割を演じるのは資本である。マルクスの言葉で言えば、資本の蓄積の大きさは独立変数であり賃金の大きさは従属変数であって、その逆ではないのだ。しかるに俗流経済学者たちは、上の一つ目の場合については賃金労働者が少なすぎるからだと言い、二つ目の場合については多すぎるからだと言う。これは物事を転倒して見ているのであって、それはあたかも貨幣論者が、デフレの原因は流通する貨幣が少なすぎるからだと言い、インフレの原因はその逆に多すぎるからだというのに似ているとマルクスはほのめかすのである。実際には、貨幣が多すぎるように見えるのは資本の活動が過熱していることの結果であり、貨幣が少なすぎるように見えるのは資本の活動が冷却していることの結果なのである。

いずれにしても、労働の価格の上昇は、ある限界の中に、「すなわち資本主義体制の基礎を揺るがさないだけではなく、増大する規模でのこの体制の再生産を保証するような限界のなかに、閉じ込められているのである」。したがって労働力の価格の上限は、剰余価値の最低限の保証を可能にするレベルまでであり、それを超えては上昇しない。一方、その下落は、労働者の人間としての生存を最低限可能にするような水準まで引き下げられるのである。

以上は資本の蓄積の外延的拡大としての集積についての考察だった。次にマルクスは、その内包的な拡充というべき資本の集中について考察する。資本の集中は競争によって促進される。「競争戦は商品を安くすることによって戦われる。商品の安さは、他の事情が同じならば、労働の生産性によって定まり、この生産性は生産規模によって定まる。したがって、より大きい資本はより小さい資本を打ち倒す」

マルクスはこう言うことで、競争の結果あらわれる資本の集中は資本主義体制に内在する傾向だと主張するわけである。マルクスの時代には、20世紀に入って現実化するような寡占とか独占といったものはまだ生じてはいなかったが、現実はともかく理論的には、資本主義が独占資本主義に発展する必然性をマルクスは見抜いていたということになる。「かりにある一つの事業部門が集中で極端に達することがあるとすれば、それは、その部門に投ぜられているすべての資本が単一の資本に融合してしまう場合だろう。与えられた一つの社会では、この限界は、社会的総資本が単一の資本家なり単一の資本家会社なりの手に合一された瞬間に、はじめて到達されるだろう」

資本の集中は、産業の大規模化をもたらし、それは他方では労働者を相互に結びつける方向に働くだろう。それまで小規模な資本に雇われて、個々バラバラに働いていた労働者が、高度に組織化された生産体制に組み込まれる。それによって労働者の結合に新たな可能性が生じる。その可能性が、労働者による生産システムの管理を可能にするのではないか。そうマルクスは考えていたようである。マルクスは言う、「産業施設の規模の拡大は、どの場合にも、多数人の総労働をいっそう包括的に組織するための、その物質的推進力をいっそう広く発展させるための、すなわち個々ばらばらに習慣にしたがって営まれる生産過程を、社会的に結合され科学的に処理される生産過程にますます転化させて行くための、出発点になるのである」







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