存在の耐えられない軽さ:フィリップ・カウフマン

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フィリップ・カウフマンによる1988年制作のアメリカ映画「存在の耐えられない軽さ(The Unbearable Lightness of Being)」は、チェコの亡命作家ミラン・クンデラの同名の小説を映画化したもの。20世紀後半における世界文学最高傑作といわれるこの作品を、小生は大変感心して読んだので、どのような映画化されているか非常に関心があった。ごく単純化していうと、原作の雰囲気をかなり忠実に再現している。筋書きはほとんど原作をなぞっているのだが、映画向けに多少脚色しなおしている。原作は、時間の流れを無視して、前後関係が入り乱れているのだが、この映画は一直線の流れの中に再編成している。つまり主人公たちが出会ってから死ぬまでの間を、直線的に描いているのである。

また、原作では、トマーシュとテレーザ、サビナとフランツの関係が相互に描き出されるが、映画はもっぱらトマーシュとテレーザの関係に焦点を当て、それにサビナが付随的にからむという形をとっている。サビナとの関係でフランツも出て来るが、それはあくまでおまけの扱いであり、原作でのフランツ固有の物語はカットされている。そうすることで、映画としてかなりまとまりのある作品になったといえなくもない。

原作は、ソ連によるチェコへの軍事介入とか、それに続くトマーシュへの迫害をそれなりに描いているが、テーマの中心はそうした政治的なものではなく、トマーシュとテレーザの奇妙な恋愛だ。その奇妙な恋愛のなかで、二人はカフカ的といえる体験をするのだが、映画はそうしたカフカ的体験を省いて、ソ連の介入への嫌悪感とか、二人の恋愛を強調するような作り方になっている。ソ連の介入への嫌悪感は、欧米人に共通する傾向であり、その部分については、かれらは雄弁になる。この映画も同様である。この映画の中のテレーズは、ソ連軍による野蛮な軍事介入を、ドキュメントとして撮影する勇敢なカメラマンというように描かれているのである。原作はそこまではテレーズを持ち上げてはいない。

原作はまた、カレーニンという犬を非常に重視していたが、映画もこの犬を最大限有効にあつかっている。その犬にメフィストという豚がからみ、映画の流れに変化を与えている。

トマーシュとテレーザが事故死するシーンは、原作の中では、小説の半ばほどのところで、懐古的に語られるだけだが、映画ではラストシーンとして、時間の流れの先端の部分の迫真の出来事として描かれる。つまり、小説ではクライマックスでなかったものを、映画がクライマックスに仕立てたわけだ。

トマーシュをイギリス人俳優ダニエル・デイ・ルイスが、テレーザをフランス人女優ジュリエット・ビノシュが、サビナをスウェーデン人女優レナ・オリンが演じるといった具合に、国際色が豊かなキャスティングである。レナ・オリンが豊かな肢体を惜しみなく披露している。トマーシュは彼女とセックスしている時が一番うれしそうに見える。そのトマーシュは、原作の中ではテレーザが束縛していると書かれていたわけだが、映画はそんなメッセージは表面化させず、二人は対等に愛し合っているといった具合に描いている。ともあれ、それなりに出来のよい映画と言ってよい。






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