NHKの新春能楽を見る

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(狂言末広がり)

今年のNHK新春能楽の番組は、観世流の脇能「老松」の舞囃子と大蔵流狂言「末広がり」だ。NHKは近年能楽の放送をさぼるようになっていたが、ついに正月番組にまで手を付けて、能の番組を舞囃子で代用した。我々能楽ファンとしては、如何にも手を抜かれて残念な思いだ。

観世銕之丞がシテを演じた「老松」は、菅原道真ゆかりの松にまつわる話だが、その老松の霊がうたう歌が「千代に八千代に」天皇の命が長らえることを祈ったもので、そんなことから目出度い脇能とされたわけである。

一方山本東次郎がシテの果報者を演じた「末広がり」は、田舎者が都の者にコケにされる話だが、コケにされながらも、めでたく暮らすところから、脇狂言とされているわけである。

果報者の主人から、末広がりというものが必要だから、都へ行って是非買い求めて来いと言われた太郎冠者が、日頃都見物をしたいと思っていた折柄、勇みこんで田舎へやって来たはいいが、肝心の末広がりがどんなものかわからない。そこで往来で大声をあげ、「末広がり買おう、末広がりはおりないか」と触れ回ったところ、それを聞いたいたずら者が、無知な田舎者を一つだましてやろうと考える。

いたずら者は、番傘を取り出してきて、これが末広がりだと言う。なぜかというに、こうして傘の骨を広げれば、末のほうが広がって末広がりなるからだ。これを田舎の主人に見せなさい。ところで人間という者は不機嫌な時もあって、たまたまこれを差し上げた時がそれに当たらないとも限らない。もし主人が不機嫌だった場合の為に、おまじないの文句を教えてやろう。そう言っていたずら者は、次のような文句を太郎冠者に授ける。

「かさをさすなる春日山、これも神の使いとて、人がかさをさすなら、我もかさをさそうよ、げにもさあり、やようがりもそうよの」

果たして主人に傘を見せた太郎冠者は大いに罵られる。末広がりとは扇子のことで、かさではないと言うのだ。太郎冠者は、それなら最初にそう言ってくれとむくれるが、主人は許さない。

困り果てた太郎冠者は、いたずら者に教えられたおまじないのことを思い出し、その文句を口ずさみながら、傘を広げて踊り出す。「かさをさすなる春日山、これも神の使いとて、人がかさをさすなら、我もかさをさそうよ、げにもさあり、やようがりもそうよの」

その騒ぎようを聞いた主人は機嫌を直す。「たらされたは憎けれど、囃子物が面白い」というのだ。その上で、「内へ入って、ドジョウのすしをほう、ほうばって、諸白を飲めやれ」と勧める。

すっかりうれしくなった太郎冠者は、「げにもさあり、やようがりもそうよの、やようがりもそうよの」と言って喜ぶのである。その喜びが正月の目出度い雰囲気に相応しいというわけであろう。






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