法華経を読むその十二:提婆達多品

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「提婆達多品」第十二は、法華経が全二十七章として成立した後、かなりな年を経て追加されたものである。法華経本体の成立は二世紀の頃、提婆達多品が追加されたのは天台智顗の頃だと思われるから、四百年ほどの時間差がある。そのため、この章を法華経本体に含めるべきではないという意見もあり、また偽経ではないかとの疑問も出た。確かに、そんな疑問を抱かせるようなところがある。お経の様式が法華経本体のそれとは違っているし、盛られている内容もユニークなものだ。

様式の点で言えば、法華経の標準的な様式は、本文と偈の部分とを交互に置き、偈の部分は非常に音楽的である。ところが提婆達多品は、偈の部分が少なくて、大部分が本文からなり、音楽的な要素は弱い。また、内容の点で言えば、提婆達多品が説いているのは、悪人成仏と女人成仏と言われるもので、これは法華経のほかの章には見られないものだ。法華経を根本経典とする天台宗には、成仏の主体を人間それも男子に限定せず、女人や悪人はもとより、山川草木の類まで成仏できるとする思想がある。そうした思想が提婆達多品にも指摘できるので、この教は、天台宗の影響のもとに成立した可能性が指摘されよう。

提婆達多品は、大別して二つの部分からなる。前半は提婆達多の成仏について、後半は竜女の成仏について説く。提婆達多の成仏が悪人成仏の説と呼ばれるものであり、八歳の竜女の成仏が女人成仏と呼ばれる。人間ではなく竜の女人であるから、動物の成仏としての面も併せ持っている。

釈迦仏は、自分自身の悟りの体験について、比喩をもって語る。はるか昔、ある大王が位をなげうって、さとりのための大法を求めたところ、一人の仙人があらわれて、自分に従うならば法華経を授けようといった、釈迦はその言葉にしたがって仙人に仕えた。すると仙人は釈迦に法華経を授けてくれたのである。

釈迦仏は言う、「仏は諸の比丘に告げたまわく、爾の時の王とは、則ち我が身是れなり。時の仙人とは、今の提婆達多是れなり。 提婆達多という善知識に由るが故に、我をして六波羅蜜と慈・悲・喜・捨と三十二相と八十種好と紫磨金色と十力と四無所畏と四摂法と十八不共と神通と道力とを具足せしめたり。等正覚を成じて、広く衆生を度することも、皆、提婆達多という善知識に因るが故なり」

提婆達多は、現世においては悪逆非道の人間であるが、過去世においては仙人として、釈迦のさとりを助けたというのである。その際の功徳もあって、提婆達多は成仏することができる。提婆達多が成仏できるのは、過去の因縁に基いている。その因縁が働いた結果成仏できるのであって、ただ単に悪人が成仏できると言っているわけではないというのが、この部分の主張であるようにも思える。いずれにしても、この世においては悪逆非道の人間と言われた提婆達多でも成仏できるというのがこの部分の主張であろう。その提婆達多は、釈迦の従兄弟であり、阿難の兄であったが、ことごとく釈迦に敵対したのである。そんな提婆達多でも成仏できるのは、因縁によるのである、というのが提婆達多品の説くところである。

ついで竜女の成仏について説かれる。多宝如来の従者に智積菩薩という菩薩があった。智積菩薩は多宝如来を促してその場を去ろうとする。すると釈迦がそれをひきとめて、文殊菩薩と話すように促す。文殊菩薩は、海中から数多くの化物を湧出させて智積菩薩に見せる。その多くの化仏のなかに、一の竜女があった。八歳の竜の少女である。その八歳の子どもである竜女が、「諸仏の説きしところの甚深の秘蔵を悉く能く受持し、深く禅定に入りて、諸法を了達し、刹那の頃に、菩提心を起こし」て、成仏したというのであった。

ところが、智積菩薩はそれを信じることができない。釈迦仏を見奉るについても、厳しい修業を己に課し、無限の時間にわたって修業した結果成仏したというのに、「この女の、須臾の間において、すなわち正覚を成ずることを信ぜざるなり」と言うのである。

釈迦仏から授記された舎利弗も信じられないと言う。舎利弗が信じないのは、女が成仏できるわけはないと思いこんでいるからである。舎利弗は、「女は垢穢にして、これ法器にあらず」といい、また五つの障りがあるという。五つの障りとは、「一には梵天となることを得ず、二には帝釈、三には魔王、四には転輪聖王、五には仏身」となることを得ないとうことである。であるから、女身は速やかに成仏することはできないと言うのである。

これらに対して竜女は、行動をもって反駁する。一の宝珠を釈迦仏に差し上げたところ、釈迦仏はそれを速やかに納受した。これは釈迦仏が自分の成仏を認めてくださる証拠だと竜女は言う。すると彼女の姿は男子に変身し、「菩薩の行を具して、等正覚を成じ、三十二相・八十種好ありて、十方の一切衆生のために、妙法を演説」するのであった。それを見た「智積菩薩と及び舎利弗と一切衆会とは、黙然として信受」したのである。

以上、法華経「提婆達多品」は、悪人成仏や女人成仏の教えを説くことで、この世に生きるものはことごとく、成仏することができると説くわけである。その教えは、草木国土悉皆成仏を主張する天台の思想に非常に近く、また浄土諸宗の他力信仰につながるものがある。







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