嘆きのピエタ:キム・ギドク

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「サマリア」では少女売春を、「うつせみ」では他人の家に勝手に住み着くヤドカリ人生を描いたキム・ギドクが、2012年の映画「嘆きのピエタ」では、消費者金融にからむあくどい取り立てをテーマに取り上げた。いずれも独特の社会的視点を感じさせるが、「嘆きのピエタ」もそうした社会的視線を強く感じさせる。この映画はヴェネツィアで金獅子賞を取ったが、韓国映画がいわゆる三大映画祭でグランプリをとるのはこれがはじめてのことだった。

消費者金融がこげついて返済不能に陥った債務者から、借金を取り立てる業者がいる。普通のやり方では取り立てができないので、債務者に保険をかけ、その保険金で支払わせる。保険金は、重大事故で身体障碍に陥ると下りる。そこで取立人は、債務者に暴行を加えて大けがをさせ、障害者にすることで保険金を搾取するのである。

日本でも、かつては消費者金融にまつわるあくどい取り立てが社会問題になったことがあった。それを踏まえて、金利に上限が設けられたり、あくどい取り立てを防止する制度が整えられた。しかしこの映画の中の韓国社会では、短期間で元金の十倍にも達する金利負担とか、あくどい取り立てが横行しているというふうに伝わって来る。もしいまでもそうなら、韓国社会というのは、きわめて野蛮な社会だと言わねばならない。

主人公は、借金の取り立てを仕事とする男。期限を過ぎても返済できない債務者を訪れては、自分の手で暴行を加え、重大な障害を負わせる。こんな仕事は、よほどの悪人でなければできない。すくなくとも人間的な感情をもっていてはできない。そこでこの男は、一切の人間的感情を押し殺して、債務者を迫害しつづけるのである。

そんな男のもとに、ある日一人の女があらわれる。女は男の母親だと名乗る。三十年前に生れたばかりの子を捨てたというのだ。男は当初相手にしないが、相手の執拗さに巻き込まれる形で、次第に心を開いていく。それのみならず、相手を母親と認め、強い愛着を感じるようになる。いままで抑えていた人間的な感情が、一気に発現したのだ。そういう感情を持つようになっては、仕事はうまくはかどらない。そのことで上役から責められたりもする。

そうこうしているうち、母親がいろいろと危険な間に合う。男は、自分を恨んでいるものが母親に攻撃をしかけているのだと推測する。心当たりの人間を訪ね廻っては、母親の所在を確かめたりする。

ついに爆発点がやってくる。母親は、男が見ている前で、何者かによって攻撃を加えられたあげく、高いビルの上から突き飛ばされて墜落死する。男は絶望する。だがそれは母親と称する女が仕組んだ狂言だったのである。その狂言は観客には明らかにされるが、男にはわからない。男は、母親が誰かに攻撃されて殺されたと思いこんでいる。かれは絶望しながらも、母屋を埋葬する。自分自身は、罪滅ぼしに自殺するのである。

こんなわけで、この映画は、借金取りのために人生を台無しにされた人の復讐がテーマなのである。その復讐劇が、母子の愛着というテーマを帯びて展開されるわけである。いかにも「恨」を重視する韓国文化を象徴するような作品である。

なお、「嘆きのピエタ」というタイトルは、ミケランジェロのピエタを連想させる。ミケランジェロのピエタは、息子キリストを失った聖母マリアの嘆きをあらわしているが、この映画の中では、愛する人を失ったことの嘆きは、母を失った息子のものである。







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