キオス島の虐殺:ドラクロアの世界

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「キオス島の虐殺(Scène des massacres de Scio)」と題するこの作品は、ギリシャの独立戦争の一齣に取材したものだ。ギリシャの独立戦争は1820年に始まったが、それはフランス革命がもたらした自由の精神にギリシャ人が目覚めたからだといわれる。そうした精神は、当時ヨーロッパ社会がある程度共有していたものである、大部分のヨーロッパ人は、ギリシャのトルコからの独立を目指す戦いに共鳴した。みずから戦場に飛び込んだバイロンは、その象徴ともいえる人物だった。

キオス島の虐殺と呼ばれる事件は、1822年に起きた。エーゲ海の東の島キオスにトルコ軍が上陸し、住民を虐殺したというものである。当時の島の人口は9万人だったが、その九割が殺害されたり奴隷として売り飛ばされたという。そのさまはまさに地獄絵を見るようだったと言われる。

その地獄絵の情景をドラクロアは再現しようとしたわけだ。トルコ軍兵士に襲われたギリシャ人たちの沈鬱な表情が、印象深く描かれている。騎乗したトルコ軍兵士が裸の女を引きずり、幼い子供は死んだ母親の乳房にすがりつく。抱き合ってふるえる男女や、茫然自失して横たわる男女など、どの表情にも絶望が読み取れる。

構図的には、はるかかなたの水平線が広々とした空間を感じさせ、それとの対比で前景の人々が強調されて描かれている。背景に別の虐殺場面が簡素に描かれているので、前景の場面がいっそうドラマチックに映る。色彩的にも、背景を暗く塗る一方、前景の人物には思い切り光をあてて、鮮やかに描いているせいで、浮かび上がって見えるような効果がある。

この作品は1824年のサロンに出展され、やはり大きな話題になったが、「ダンテの小舟」と比べると、厳しい批評が多かった。あまりにも生々しい暴力描写が、フランス的な優雅さに反しているというのだ。なお、この作品には、ロマンチックというレベルが貼られ、以後ドラクロアはロマン派の首領と見なされていく。当時ロマン派とは、バイロンらのイギリス文学に冠せられていた言葉だが、フランスではドラクロアの絵画が先陣をきったことになる。

(1823年 カンバスに油彩 419×354㎝ パリ、ルーヴル美術館)






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