森嶋通夫「思想としての近代経済学」

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森嶋通夫の「思想としての近代経済学」は、近代経済学の歴史をわかりやすく、しかもユニークな視点から解説したものだ。その視点には二つの特徴がある。一つは近代経済学を、単なる社会科学の一分野と見るのではなく、思想として見ること、もう一つは、従来近代経済学とは水と油の関係にあると見られていたマルクス経済学を、近代経済学の中に含めていることだ。

ここで森嶋が近代経済学と言っているのは、リカードに始まりケインズで頂点に達する一連の経済学説のことをさす。リカードの説がワルラスとマルクスによって受け継がれ、ワルラスが代表することになった主流派の経済学がケインズによって頂点に達したというのが森嶋の見立てである。そのケインズの基本的な姿勢は、経済学を単に社会科学として見るのではなく、人類社会をよくするための手段として見ることだった。つまり経済学に、思想の観点を取り入れたのである。経済学に思想性を求めるのは、マルクスも同然だったが、マルクスが資本主義の廃絶を目的としたのに対して、ケインズは資本主義の改良を通じての人類社会の発展を目的とした。ケインズにとって、資本主義システム以外に、人類社会にとってよいシステムは考えられないからである。そうした考えを森嶋もまた共有している。森嶋はマルクスも正当に評価するが、マルクス主義が人類社会にとってよい結果をもたらすとは考えていないようである。

ケインズ以前の、マルクスを含めた近代経済学は、一つの擬制のうえに立っていたと森嶋はいう。セーの法則がつねに貫徹するという擬制である。セーの法則とは、供給は需要を生み出すというもので、この法則のおかげで、経済はつねに一般均衡を達成することができる。その結果、完全雇用が可能になり、人類社会は無駄のない発展をすることができるというものだった。だがセーの法則はドグマのようなもので、つねに働くとは限らない。むしろ例外的な事象であって、通常は需要と供給が一致しないのが一般的だ。それを指摘したのがケインズだった。セーの法則のもとでは、見かけ上の一般均衡が生じても、それは完全雇用を保証しない。非自発的な失業を抱えた均衡しか実現しない。それは供給に応じるような有効需要が足りないからであって、完全雇用を実現するためには、有効需要を人為的に創り出さねばならない。そうケインズは考えた。じっさい世界の経済は、このケインズの考えにもとづいて運営されてきており、それなりの有効性を発揮してきた。今後もケインズの考えを軸にしながら経済運営をしていくことが望ましい、そう森嶋は考えるのである。

そういうわけであるから森嶋は、近代経済学の歴史を、ケインズを基準にして、それ以前をセー法則時代、それ以後を反セー法則時代と名づける。この分類に従えば、マルクスもセー法則時代の近代経済学者ということになる。そのマルクスを森嶋は結構評価している。というのは、マルクスは経済をそれ自体として孤立させて分析するのではなく、大きな社会的な視点から分析したからだ。近代経済学者のなかには、経済学を狭い領域に閉じ込めて、純粋に演繹的な学問のように取り扱うものもいるが、それは間違っている。経済学的には合理的に見えても、社会全体としては非合理的なものはいくらでもある。だから、経済を社会全体の一部として、有機的なかかわりの中で見ることが必要だというのが、森嶋の基本的な立場だ。森嶋はそうした立場から、混合経済を主張する。混合経済というのは、完全雇用とか国民の福祉とか公正な分配といった要素に留意しながら、社会全体としてより望ましいあり方を考える立場に立つ。

その正反対が、今日新自由主義といわれるもので、政府の経済への介入を否定し、完全な自由放任を主張するものだ。そのチャンピオンはフリードマンらのシカゴ学派だが、かれらは自分の主張の根拠として、あいかわらずセーの法則を持ち出さざるをえない。新自由主義はイギリスのサッチャーが政策化したことで有名になったが、サッチャーが依拠したのはハイエクである。そのハイエクの先祖といえるのはフォン・ミーゼスなので、森嶋はミーゼス批判に多くのページを割いている。ミーゼスが活躍したのは20世紀初頭のことで、ケインズが現われる前のことだが、その時代の帝国主義的な風潮を踏まえて、ミーゼスは非人倫的なことを平気で主張した。そう言って森嶋は新自由主義の先祖に厳しい目を向けるのである。

新自由主義は完全競争を理想としているが、同じく完全競争をモデルにしているのはパレートである。パレート均衡という言葉が有名だが、それは完全競争の理想状態をあらわしている。パレートはまた、厚生経済学の元祖としても有名だが、森嶋はパレートの厚生経済学については触れていない。ただ、アローらの名前を挙げながら、厚生経済学の主張は欺瞞的だと言っている。たしかに厚生経済学の主張には欺瞞的なものがある。それは一言で言えば、格差を前提としたうえで、富めるものが貧しいものに恩恵を及ぼすといった、今日トリクルダウンと呼ばれる説を主張するものだ。この主張は、功利主義的な考え方を背景にしたもので、たいした根拠があるわけではない。

ところで森嶋は、セー法則が有効でないことの理由を二つあげている。一つは歴史的な事実、つまり失業を伴った不況が歴史的に多数指摘できるということ、そうした不況が需要と供給のアンバランスから生じたという事実である。もうひとつは理論的なもので、森嶋が「耐久財のジレンマ」と呼んでいるものだ。自動車のような耐久財の場合には、市場価格は一つではない。レンタル市場と私有車の売買市場とでは異なった価格が成立する。これは完全競争と矛盾する条件となる。また、労働者の賃金にしても、需要と供給のバランスに従って流動的に額が決まるわけではない。労賃には一定の価格硬直性がある。そんなわけで、完全競争のもとでの、需要と供給の一致を根拠とするセー法則には重大な欠陥がある、というのが森嶋の見立てである。

ともあれ、森嶋の近代経済学論によれば、近代経済学の根本は、ケインズの説を前提にすべきだということになる。森嶋はケインズのほかに、シュンペーターやマックス・ウェーバーなどにも言及しているが、それについてはここでは触れない。





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