グラムシを読む

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グラムシは、かつて1960年代を中心に世界的な社会主義運動の高まりに乗った形で大いに読まれたものだったが、いまではほとんど「忘れられた思想家」扱いである。一部の好事家的なマニアの研究対象になっているくらいだ。グラムシがもてはやされたのは、ソ連型社会主義への対抗軸としてであり、西欧先進資本主義国における社会主義の可能性を示したものとしてであった。スターリン批判の本格化によって、ソ連型社会主義の威信が極度に低下し、社会主義全般が強い疑問にさらされたときに、ソ連型とは異なる先進国型社会主義の一つの有力なモデルを提供したことで、グラムシは社会主義思想の有力な論客として迎えられたわけである。しかし、そのソ連型社会主義が、20世紀の末近くに崩壊すると、社会主義をトータルに否定する議論が盛んになり、そうした風潮が強まる中で、グラムシも次第に忘れられていったのである。

だが、社会主義がトータルに否定できるわけではない。ソ連型社会主義が崩壊したことで、資本主義こそが唯一持続可能なシステムだと強弁する議論が支配的になったが、その資本主義システムは盤石な地盤の上に立っているわけではない。その逆である。資本主義の地盤は次第に崩れつつある。資本主義が唯一のモデルとなったことで、それが地球全体の経済システムを支配するようになり、いわゆるグローバリゼーションが前面的に開花することで、資本主義が本来持っている矛盾が露骨に表面化してきた。資本主義の基本的な原動力は、金が利息を生むことであるが、いまでは地球的な規模でゼロ金利あるいはマイナス金利といった状態が恒常化している。これは、資本主義システムがもはや持続可能なものでなくなっていることを示しているにすぎない。グローバリゼーション下の資本主義は、市場を地球規模に広げ、地球全体の住人が、資本家階級と労働者階級とにみごとに分裂した。いまやグローバルな資本は、国境を気にすることなく、地球規模での剰余価値の追求に邁進している。中国人の資本家が日本人の労働者を搾取する時代なのである。

資本主義崩壊の不可避性について議論するのは、社会主義者の専売特許ではない。ワルラスの均衡理論に立脚した正統派の資本主義経済学者というべきシュンペーターも、資本主語には崩壊への必然的な傾向が内在しており、やがては社会主義へと転化していくと考えていた。資本主義に内在する傾向としてシュンペーターが重視するのは、資本の有機的構成の高度化とそれにともなう独占への傾向であったが、その独占への傾向が資本主義を社会主義へと転化させると考えた。こうした考えは、マルクスの影響を強く受けたものだ。ただシュンペーターは、資本主義から社会主義への転化は、いわばタナボタ式に、自然な流れとして起きると考えていた。それを具体的に実現するのは、資本主義システムを動かしている官僚的な経営層である。シュンペーターによれば、資本主義から社会主義への転化は、マルクスの予言したように、被抑圧者としての労働者階級による革命ではなく、上からの改革という形をとる。改革とはいいかえれば修正ということである。そうした議論は、資本主義と社会主義との間に断絶を認めたがらない傾向が強い。資本主義は、崩壊して社会主義へ転化するのではなく、必要な修正を施されながら、新たな様式の資本主義として生き残ると考えたがる。

シュンペーターの議論は、今日の社会民主主義の運動に、一定の理論的な根拠を提供するものだ。その議論の最大の強みは、資本主義の歴史的な限界とそれの社会主義への転化の必然性をかなり立ち入って明らかにしたことだ。資本主義についての解剖学的な診断といってもよい。そうした詳細な診断は、ソ連型社会主義を指導したレーニンにはないものだったし、ましてやスターリン以下の党派的な官僚主義者にもなかった。だいいち、ソ連型社会主義は、資本主義から社会主義への歴史的な転化をあらわしたものではなく、半封建的な前近代社会にとっての近代化のモデルにすぎないと言うことさえできる。近代化のモデルという点では、日本の場合も同様である。日本が天皇制絶対権力を通じて近代化をはかったのに対して、ソ連は中央集権的な計画を通じて近代化をはかったという違いしかない。だからソ連の実験は、歴史的には日本と比較されるべきものであり、社会主義運動のモデルとして位置付けるべきものではない。

マルクスが予言し、シュンペーターが詳細に分析した資本主義から社会主義への転化のプロセスについて、グラムシも大きな問題意識を持っていた。かれの関心の中心は無論イタリアだが、そのイタリアで社会主義が実現するためには、まだまだ条件が不足しているとグラムシは考えた。かれもシュンペーターと同じく、資本主義から社会主義への転化は、資本主義が最高の段階に達し、その矛盾が先鋭化することが条件だと考えた。イタリアにははまだその条件は熟していない。そうグラムシは考えていたが、だからといって、敗北主義に陥ったわけではない。社会主義の実現は、イギリスやアメリカのような高度に発達した資本主義国でおこるのが自然だし、またそうなるように、世界の社会主義者は団結して臨むべきだと考えていたが、イタリアのような遅れた国においては、一気に社会主義の実現は困難だとしても、それに向かってさまざまな条件整備を進めることに意味がある。そういう立場からグラムシは、労働者階級がなるべくヘゲモニーを握ることができるような政策について考えを巡らせたのである。

こう言うと、グラムシをシュンペーター並みの社会民主主義者と同一視していると思われるかもしれない。しかし、グラムシとシュンペーターの間には決定的な相違がある。シュンペーターは、資本主義から社会主義への転化を歴史的な必然と見たが、だからといって社会主義者だったわけではない。逆である。かれは社会主義は人間性に反していると考えていた。だから、資本主義を改革して社会主義へと移行するさいには、なるべく人間性を重んじた姿勢をとる必要がある。改革の主体は労働者階級ではなく、資本主義内部の官僚的経営層であるべきだと考えた。その官僚的経営層が、資本主義の綻びを上手に繕い、なるべく混乱なく社会主義的システムへと移行するべきだというのがシュンペーターの基本的な立場である。それに対してグラムシは、あくまでも革命にこだわり、その主体は労働者階級であるべきだと考えたのである。

そんなわけで、グラムシの歴史的な意義は、マルクスの原点に立ち戻って、ソ連型とは異なる先進国型社会主義のモデルを模索したことだといえよう。かれの議論は、いまやグローバルな規模での資本主義の成熟にともなって、その矛盾が極度に先鋭化した時代を分析する上でまだ光を失わないでいる。むしろ、高度資本主義の分析モデルとして、その歴史的な意義をますます高めていると言ってよいのだはないか。そんなグラムシの業績について、あらためて考えてみたいというのが、このグラムシ論にとりかかった動機である。

グラムシの著作は大きく二つに分類される。一つは青年時代のもので、社会主義運動の闘士として、各種のメディアに発表した論争的なパンフレットの類であり、もう一つは、ファシストによって投獄されて死ぬまでの間に、獄中でしたためたノート類や書簡集である。グラムシ自身はまとまった形の本は一冊も出版していないので、かれの思想を知るためには、主に「獄中ノート」といわれるノート類に当たるしかない。それらは膨大な量に達する。しかし、そうしたノートの中からエッセンスのようなものを集めて、論文集のような形で出版されたものがある。今日日本で手に入りやすいものとして、「現代の君主」(ちくま学芸文庫)と題されたものと「グラムシ・コレクション」(平凡社ライブラリー)と題された文集がある。どちらもグラムシ自身が編集したものではなく、日本人の翻訳者が自分自身の問題意識を通じて拾い集めた文集である。「現代の君主」のほうは、1960年代に出版され、今日まで形を変えながら読みつがれてきた。この二つの文集を中心にして、グラムシの思想を読み解いていきたいと思う。






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