汽車はふたたび故郷へ:オタール・イオセリアーニ

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旧ソ連圏のなかで、グルジアは映画作りが盛んなようだ。日本ではかつて、岩波ホールで「グルジア映画祭」が催されたことがある。オタール・イオセアリーニは、グルジア映画を代表する監督としての名声が高い。2010年に作った映画「汽車はふたたび故郷へ」はかれの代表作。かれはフランスで映画を作ることが多いそうだが、この映画も、半分はフランスを舞台にしている。

自分自身の半生をテーマにしているそうだ。グルジアでの映画作りが思うようにいかないので、フランスで思いを遂げようとするが、フランスは商業主義に毒されていて、自分の映画は理解してもらえない、といったようなメッセージが込められている。

前半は、グルジアが舞台だ。二人の少年と一人の少女が、一緒になって遊び、洞窟からイコンを盗んで親に怒られていたりするうち、やがて大人になると、一緒に映画作りをするようになる。だが、グルジアの映画は、厳しい検閲下に置かれていて、思うような映画が作れない。そこで心機一転してパリに出かけ、そこで映画作りを始めるのだが、といった内容だ。

後半のパリでの部分は、自由だといわれるフランスでも、金をもたらす範囲内での自由であって、本当に自由な映画作りは困難だ、というメッセージが伝わってくるようになっている。自由に映画が作れないでは、フランスにいる意味はない、そこで主人公はグルジアに舞い戻るのである。

この映画の醍醐味は、グルジア人の生活ぶりが垣間見られることだろう。グルジア人はスターリンを生んだ土地柄だけあって、大部分の男たちはスターリン髭を生やしている。民族的な風習なのだろうか。街並みは石造りなので、そのへんはヨーロッパ文化の延長なのだろうと思わせられる。

グルジアが舞台になっているときは、グルジア語が話されている。よく聞くと、ロシア語に非常に近い言葉が聞こえてくる。ものの本で調べると、グルジア語は独特の言語で、それ用の文字もあるという。映画で聞こえていたロシア語に近い言葉は、外来語のようなものだったのかもしれない(たとえば、メーデーは<ピェルヴイ・マイ:5月1日>と聞こえた)。

タイトルにある「汽車」は、子ども時代に主人公たちがよく乗ったもの。また、主人公がフランスからグルジアに戻るときにも乗った。いわば主人公の夢の乗り物だ。





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