天皇の昭和史:藤原彰ほか

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「天皇の昭和史」(新日本新書)は、日本近代史学者の藤原彰と、かれが指導した弟子三人の共作である。弟子の中には吉田裕も含まれている。藤原は天皇制への批判とともに昭和天皇個人に対しても厳しい批判を行ったことで有名である。その藤原が中心となって、昭和の侵略戦争や戦後の日本の反動政治に昭和天皇が積極的にかかわっていたことを、詳細な資料をもとに解明している。これを読むと、昭和天皇が、普通思われているような立憲制を重んじるタイプの支配者ではなく、かなり専制的なタイプの支配者だったというふうに思わされる。いずれにしても、藤原らの昭和天皇への見方は、全否定といってよいものである。だから、日本の天皇制になにがしかの意義を認めているものにとっては、この著作は噴飯ものだろう。だが、いい加減なことが書かれているわけではない。かれらの言うことには詳細な資料の裏付けがあるので、その資料をもとに議論することが大事なことだろう。

この本が書かれたのは1984年のことで、例の「昭和天皇独白録」はまだ公表されていなかったが、「独白録」で話題となったようなことは、ほかの資料をもとに、すでにこの本でも取り上げている。それらの資料をもとに、著者らは、昭和天皇が対米戦争の開始にも深くかかわり、また、戦争遂行中にも引き続き様々な形で主導的な役割を果たしたことを解明している。また、戦後においても、時に触れて、内閣を飛び越えて直接自分の意思を通そうとしたり、かなり深く政治にコミットしていたことを明らかにしている。いずれも、いまとなっては目新しいことではないが、参考までにいくつか、読んでいて気がついたことをあげておきたい。

昭和天皇は「独白録」の中で対米戦争に触れ、あれは内閣の決定を追認したのであって、自分は積極的にはかかわっていない。自分としては、あの戦争は無謀だと思ったが、もし内閣の決定に反対すれば、クーデターが起きたかもしれないと言って、さも不本意ながら認めたというようなことを言っている。しかし実際には、天皇自身が対米戦争に積極的だったことをこの本は明らかにしている。東条との関係については、とかく東条の独裁ぶりが強調されるが、実際には東条は天皇への絶対的な服従を示していて、天皇の言うことには決して逆らわないという姿勢であった。東条が対米戦争に踏み切ったのには、昭和天皇の強い意向も働いていた。そんなことを、著者の一人吉田が明かしている。話は余談にわたるが、昭和天皇は東条を贔屓にしていて、「独白録」のなかでも、東条に対しては好意的な姿勢が見られる。おそらくそれは、東条の東条なりの忠誠に昭和天皇が満足していたからだと思われる。

昭和天皇が戦後も引き続き政治に口をはさんだことについては、そのもっとも重要な意義を持ったこととして、安保条約への天皇の異常なかかわりを明らかにしている。講和後もし米軍が完全撤退すれば、日本は内外の共産主義勢力によって攻撃されるかもしれない。その場合に天皇制の存続があやうくなる恐れがある。そういう危惧から昭和天皇は、引き続き米軍の駐留を望んだ。場合によっては沖縄を半永久的に使ってもかまわないというようなことを、側近の寺崎を通じて占領当局に言わせている。寺崎は「独白録」を記録・保存していた人物で、昭和天皇の当時の最側近だった。要するに昭和天皇は、日本の主権の一部を売り渡しても、自分自身と天皇制の安全に強いこだわりを見せたということだ。そのあたりの詳細については、楢橋豊彦が「安保条約の成立」など一連の著作を通じて、明らかにしたところである。楢橋によれば、昭和天皇は吉田首相とは別のルートで直接アメリカ政府に働きかけ、一種の二重外交の状態を作りだしたのだが、それはひとえに、天皇制と自分自身を守るための行動だったという。

日米安保体制の確立で、日本の天皇制はとりあえず安泰となった。それに安心した昭和天皇は、以後政治への露骨な介入はおこなわず、国民の目には「象徴天皇」として、控えめに振る舞ったというのが、大方の世論となっているが、じっさいには、昭和天皇は引き続き天皇制の権威回復のためにさまざまな役割を果たそうとした、というのが著者たちの見立てである。小生などは、少なくとも戦後においては、昭和天皇は政治への関与を差し控えたというふうに思っていたので、この本における昭和天皇の積極的な働きぶりには、いささか驚かされたものである。

著者たちの昭和天皇への厳しい批判は、天皇の人間性にも向けられる。広島・長崎への原爆投下について聞かれた昭和天皇は、あれは仕方がなかったことだったと言って、アメリカ側に配慮を見せたのであったが、それは天皇自身、被爆した日本人に対して深い同情心を持っておらず、したがってあの発言は本音がぽろりと出たのではないかといって、昭和天皇の人間性に強い疑問を呈するのである。

ともあれこの本の特徴は、天皇制という制度の問題と、昭和天皇個人の資質・行動とを不可分・一体のものととらえ、昭和天皇自身の戦争責任を問うだけではなく、天皇制というシステムにも疑問を投げかけるものになっている。





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