梅原猛の日蓮論

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日蓮を取り上げた「仏教の思想シリーズ」の最終巻「永遠のいのち」の第三部を、梅原猛は「日蓮の人生と思想」と題して、日蓮の人生の歩みを梅原なりに振り返りながら、日蓮の仏教思想の展開をたどっている。梅原は、やはり日蓮が好きらしく、その語り方には、日蓮に対する熱い思い入れが込められている。

日蓮の人生の歩みについては、仏教学者の紀野一義が詳細に紹介していたので、ここでは日蓮の思想について梅原の整理したところを見てみよう。

日蓮の仏教思想は、まず法然との対決の中から形を整えた。処女作というべき「守護国家論」は激越な法然批判の理論書であるし、「立正安国論」はそれをもっと実践的に展開したものだ。その法然と日蓮の関係は一筋縄には語れない。まず、その教説の歴史的意味についていえば、法然の方が革新的であったといえる。その法然に対決する日蓮の理論的武器は法華経に帰れということしかなかったが、法華経は平安仏教以来の日本の仏教を支えてきたもので、その意味では保守主義の拠り所となっていた。それに日蓮は依拠するわけだから、俯瞰的に見れば、日蓮のほうが保守的・あるいは反動的と言ってもよい。そんな日蓮の仏教思想が、どのようにして新しい時代を動かしていったのか。そこに一つの問題意識を梅原は感じたようである。

当時は、法然の主導した浄土信仰が、新しい信仰のあり方として民衆の間に浸透しつつあった。禅はやっと武士の支持を獲得しつつあったくらいで、民衆の間に浸透していたとはいえなかった。だから日蓮にとっては、法然こそが、新しい時代の仏教モデルを構築する上での、最大のライバルとして映ったわけだ。日蓮が法然を当面の敵に選んだことには、相当の理由があったのである。

その法然から日蓮は、新しい仏教を動かしていく力を盗みとったと梅原は言う。日蓮は法然を批判しながら、その法然の思想を巧妙に取り入れ、それを以て新しい信仰のあり方を確立していったと言うのである。日蓮が法然から盗み取った思想的なエッセンスは二つ、一つは末法思想であり、もう一つは念仏に集約された易行の主張である。

末法思想は、源信以来浄土信仰が強調していたものだ。それには時代の背景が働いていた、平安末期には日本は巨大な社会変動に見舞われ、この世を地獄と受け取るような厭世観が広がっていた。それが仏教の末法思想と結びつき、独特の末法意識をはぐくんだ。その末法意識を法然も強調したわけだが、それを日蓮も利用した。ただ、法然が末法思想を厭離穢土欣求浄土という形に整理したのに対して、日蓮は現世を重視し、現世に生きながらにして成仏するという即身成仏の考えを展開した、という違いはある。

念仏に集約された易行の主張は、仏教を民衆の間に浸透するための決め手のようなものだった。念仏はもともと仏を心中に念じることを言ったが、法然はそれを思い切って単純化して「南無阿弥陀仏」の六文字を称えるだけでよいとした。その六文字を称えることで、人は永遠なる阿弥陀如来に己の救済を呼びかけることになる。それに阿弥陀如来がお応えになり、念仏した者は救われる。救われた者は、死後阿弥陀の浄土に生まれ変わることができる、というのが法然の念仏の教えだった。

日蓮はその教えを利用した。そうすることで、己の教えを民衆の間に容易に普及させようとしたのである。法然の念仏に代えるに、日蓮はお題目を以てした。お題目とは「南無妙法蓮華経」の七文字を唱えることである。この七文字を唱えることで、法華経全体を読んだのと同じ効力がある。法華経を読むことで、人は永遠なるものに呼びかけることができるのであるが、その法華経を読むという行為をお題目が代替してくれる。この意題目を唱えることで、人は永遠の命に触れ、それによって即身成仏できる、というのが日蓮の教えの核心である。

そうした日蓮の思想は、佐渡流罪中に確立した、と梅原は言う。日蓮は佐渡流罪中に「開目抄」と「観心本尊抄」を書く。この二つの書で日蓮は己の思想を全面的に展開したと言うのである。

この二つの書の関係は、宗門の整理によれば、「人開顕」と「法開顕」の関係だという。「人開顕」とは、人間日蓮とはいかなるものかを明らかにしたものであり、「法開顕」とは日蓮の仏教思想の核心を明らかにしたというような意味である。「開目抄」は「人開顕」の書として宗教家日蓮とは何者かという問いに答えたものであり、「観心本尊抄」は日蓮の仏教思想の核心を理論的に展開したものである。日蓮は、鎌倉仏教の祖師たちの中で、もっとも理論的だと梅原は評価しているのだが、その理論的な側面がもっとも強く現われたのが「観心本尊抄」ということらしい。

まず、「開目抄」について。この本の目的は、法華経の行者であるはずの日蓮がなぜ度重なる法難に見舞われたか、それについての解答を求めることである。もしかしたら日蓮は法華経の行者なのではなく、贋物なのではないか、そうした疑問が浮かび上がらざるをえない。その疑問に応えることで、日蓮は法華経の行者としての自覚を超えて、自分自身が衆生救済を追及する菩薩だとの確信を強める。つまり日蓮は、単なる法華経の行者から菩薩へと自己認識を高めたのである。日蓮はそんな自分を「上行菩薩」だと言う。「上行菩薩」というのは、地面から湧出した菩薩のことである。つまり土着の菩薩なのである。日蓮は日本固有の土着の菩薩として、日本という国の衆生を救う使命を追求することとなるのだ。

「開目抄」において日蓮が打ち出した仏教思想のエッセンスは二つある。一つは「二乗作仏」であり、もう一つは久遠実成である。「二乗作仏」というのは、声聞・縁覚のような外道は無論、悪人までも成仏できるとする考えで、「一乗作仏」とも呼ばれ、要するに全ての生きものが成仏できるとする考えである。これが天台の国土草木悉皆成仏の思想を踏まえたものであることは容易に見てとれるが、日蓮はその思想に新しい衣をかぶせたのである。新しい衣とは、お題目が成仏に導くとする考えのことである。

久遠実成とは、釈迦は歴史上に実在した人物というにとどまらず、永遠不滅の法身仏だとする考えである。その法身仏としての釈迦が歴史上の釈迦として現われたと同様に、この日蓮も法身仏の現われなのだと言いたいようなのである。

「観心本尊抄」は、「開目抄」で示された思想を、理論的に整理して展開すると共に、それに付け加えて、「一念三千」の説を打ち出した。「一念三千」というのは、吾々の心に宇宙全体がそのまま収まっていると考えることである。その吾々の心が、お題目を唱えることを通じて、永遠につながり、その永遠が末法としての現世を救済する。日蓮はその救済の先頭に立つ上行菩薩である、というのが、日蓮が最後にたどり着いた結論なのであった。





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