阿倍仲麻呂明州望月図:富岡鉄斎の世界

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「阿倍仲麻呂明州望月図」は、「円通大師呉門隠棲図」とともに六曲一双の図屏風を構成する。これはその右隻。阿倍仲麻呂が唐での留学を終え、日本に帰るにあたり、明州(寧波)で送別の宴が催された。この絵はその際の様子を描いたもの。

海の近くに楼閣がたち、その前の海岸には船がつながれている。その船を望むところに桟橋のようなものがあり、仲麻呂ら数人がその上に立って月を眺めている構図である。月は画面左手上部に小さく描かれている。

「天の原振りさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」と歌ったのは、この時のことだとされている。その歌を漢詩になおして唐人たちに読んだところ、みな感涙を流したという。

賛には次のようにある。「命を銜んで将に国を辞せんとす、非才侍臣を忝のうす、天中名主を恋い、海外慈親を憶う、伏奏して金闕を違(さ)り、騑驂して玉津を去らんとす、蓬莱郷路は遠く、若木故園の隣、西を望み恩を懐かしむ日、東へ帰って義に感ずる辰(とき)、平生一宝剣、留め贈る交を結びし人に」。これはその場に居合わせた朝衡の作である。

なおこの作品は、1924年5月に西宮の辰馬悦叟の別荘に滞在した折に描いたもの。

(1914年 絹本着色 六曲一双の右隻 170.0×376.0cm 西宮市、辰馬考古資料館 重文)





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