女神記:桐野夏生を読む

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桐野夏生の小説「女神記」は、古事記のイザナキ、イザナミ神話を取り入れた作品だ。古事記では二柱の夫婦神が黄泉比良坂を距てて向かい合い、イザナミがイザナキに向って、あなたの国の人間を毎日千人殺してやるといったのに対して、イザナキは、では毎日千五百の産屋を建ててみせると答えたのだったが、この小説はその後日譚という形をとっている。イザナミは予言どおり、黄泉の国の女王として毎日千人の人間に死の呪いをかけつづけ、イザナキは放浪の身になって、毎日多くの女たちに子を授けているのである。

この神話に、さる南の島の風俗を絡ませている。場所は特定されていないのだが、琉球諸島の一部と思われる小さくて貧しい島が舞台だ。その島では、巫女を中心にして生活が営まれている。巫女を出す家は代々決まっていて、原則として姉が大巫女となり、妹が死者の墓守となる。姉は陽の原理を体現しており、妹は陰の原理を体現している。二人合わせて初めて意味を持つ。だから姉が死んだときには、妹も死なねばならない。そういうことを前提にしながら物語りが進んでいくのである。

妹のナミマが語ることで小説は始まる。ナミマは一つ違いの姉カミクゥとともに、大巫女と墓守の後継者になるよう定められていた。ナミマが五歳になったときに、カミクゥは巫女の修行に入り、ナミマはそれを補助する役目を与えられる。毎日カミクゥのもとに食事を届ける役目だ。島は貧しく、誰もが飢えているのに、カミクゥだけは素晴らしい食事が与えられる。それをカミクゥは食べ残すのだが、ナミマは食べ残しをすべて崖から捨てねばならず、どんなに空腹でも手をつけてはならないと言い渡される。

かくして七年たち、ナミマが十二歳になったときに変化が起きる。ある青年が現われるのだ。その青年はマヒトといって、島中から村八分になっている家の息子だった。その家は、大巫女を出すための補助的家柄なのだが、娘を生めないことで村人の失望をかい、村八分になったのだった。マヒトの母親は、七人生んだ子の全てが男の子だった。新たに妊娠した子が女だったら村八分も解かれるかも知れない。だが母親は衰弱していて、まともなお産ができないかもしれない。そこでカミクゥの食べ残しを母親に食べさせようということになった。それは村の掟を破ることだったが、ナミマはマヒトへの共感から、その掟を破ったのであった。

ナミマが十六歳のときに、大巫女が死に、カミクゥがその地位を継ぐことになった。ナミマのほうは墓守の地位を継がされる。ところがその時、ナミマはマヒトの子を孕んでいた。そのことがばれるとナミマは掟破りの咎で殺されるかもしれない。そこでマヒトは小船にナミマを乗せて島を脱出し、ヤマトをめざす。そこで二人で暮すつもりだったのだ。海の上を漂流している間に、ナミマは女の子を生んだ。ナミマは親子三人で暮らせることに喜んだのだったが、突然思いがけないことが起こる。マヒトがナミマの首をしめ、ナミマはわけもわからないまま死んでしまったのだ。

死んだナミマにはこの世に未練があった。殺された理由がわからないし、また死に別れた娘のことが気になって仕方がない。そういう死者は成仏することが出来ないで、黄泉の国に集まるようになっている。ナミマも黄泉の国に流れてくるのだったが、そこで闇の女王イザナミに出会い、イザナミの侍女としての役割を与えられる。イザナミは毎日千人の人間の女たちに死を与えることが仕事である。その仕事をナミマも手伝う。そのうち、同僚の稗田阿礼との付き合いなどにも刺激されて、人間の世界に舞い戻ることになる。蜂の姿で人間界に舞い戻ったナミマは、さまざまなことを蜂として見聞するうちに、自分が死んだ事情を理解するようになる。どうやらマヒトは、自分への純粋な愛からではなく、自分の家の再興のためにナミマに近づき、ナミマに女の子を生ませたようなのだ。その女の子を、自分の母親が生んだと偽り、巫女の資格を得ようと思ったのだ。

蜂のナミマは、人間によって殺されてしまい、ナミマは黄泉の国に舞い戻る。一方、ナミマの生まれた島には一人の若者がやって来る。その若者こそは、イザナキが人間の姿をとったものなのだった。イザナキは神の姿をとりながら、方々を放浪し、大勢の女たちに子を授け歩いていたのだったが、思うところがあって、神であることに飽きて、人間に生まれ変わったのだった。人間としてのイザナキは、美しい少女に出会う。ナミマが生んだ女の子が、美しい女に成長し、いまは大巫女カミクゥと一対になって、墓守を務めている。ところがそのカミクゥが崖から身を投げて死んでしまった。カミクゥが死ねば、少女も死なねばならない。少女を愛したイザナキは、とりあえずは少女ともども島からの脱出には成功するのだが、いずれイザナミの呪いによって死なねばならない。そこでイザナキはイザナミのもとを訪ねてこう言うのだ。「私は十九歳の男に生まれ変り、若い妻を得た。その女と生きていくために、あなたに謝りたいのだ」

しかしイザナミはイザナキの謝罪を受け入れなかった。「イザナキ、夜宵を助ける代わりに、あなたの命を今頂きますよ」と言って、イザナキを死なせてしまうのだ。それを目の前にしたナミマは、イザナミの怒りの激しさに思い至ったのだった。ナミマにも怒る理由はあったのだが、その怒りを直接マヒトにぶつけることはしなかった。ただ、「心からイザナミ様に畏怖して・・・これからもお傍でお仕えもうしあげる」決意を固めるのだ。小説はこんな言葉で終わるのである。「女神を称えよ、と私は暗い地下神殿の中で秘かに叫ぶのでございます」

こんな具合にこの小説をごく簡単に批評すれば、女の怒りを描いたものといえよう。女の怒りは人類の起源ほどにも古いということであろう。西洋の神話では、女は人間の原罪の原因を作ったとされるが、東の果ての島では、女は怒りによって育まれたということになろう。

なお、小説の舞台となった小島は、どうやら沖縄本島の東海上に浮かぶ久高島をイメージしているようである。位置関係が多少曖昧だが、島の形状は久高島を彷彿させる。その久高島に、この小説が取り上げている風習があるのかどうか、小生にはとりあえずわからない。





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