日本メディアの情けない体質

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雑誌「世界」の最新号(2021年11月号)に、「金学順さんが伝えたかったこと」と題する小文が寄せられている。筆者は元朝日記者の植村隆。従軍慰安婦問題を追及したことで知られる。そのかれが、最初に元従軍慰安婦金学順さんの体験を記事にしてから23年後に激しいバッシングにあった。バッシングの主体や内容については広く知られているところだと思うのでここでは触れないが、この文章を読んで、オヤと思ったのは、朝日をはじめ日本のメディアが、不当なバッシングからかれを守ってくれなかったということだ。かれは、自分自身が誹謗中傷や脅迫を受けたのみならず、娘まで恐怖にさらされたという。

朝日が自分を守ってくれなかったのは、いわゆる吉田証言についての謝罪がもとで、時の総理大臣安倍晋三を先頭にした激しい攻撃にさらされて委縮しきっており、社員のことまで考える余裕がなかったのだろうと植村は言っているが、そうだとしたら情けない話である。

ジャーナリズムに従事する者は、ある時点では命をかけて戦う覚悟がいるものだ。それが、バッシングに委縮して社員も守れないというのでは、ジャーナリズムの名に値しないというべきである。

今年のノーベル平和賞には、真実のために命をかけて戦ったジャーナリストたちが選ばれていた。そうしたかれらのジャーナリストとしての気概を、朝日をはじめ日本のメディアは持っていないのではないか。そんなことを思わせられるところだ。

日本の言論の自由度は、世界で67番目であり、先進国の中では最低だそうだ。その理由としては色々上げられるだろうが、基本は、当のジャーナリストに報道の自由のために戦う姿勢がないことだろう。そんなジャーナリストたちが、筆を汚して生計を立てているというのが、日本のジャーナリズムをめぐるお寒い限りの眺めなのではないか。





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