守護国家論:日蓮を読む

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「守護国家論」は、日蓮のまとまった論書としては最初のものである。正元元年(1259)鎌倉での著作である。時に日蓮三十八歳。比叡山での修行を終え、法華の行者としての自覚を深めた日蓮が、法華信仰の意義を説き、かつ邪法を退けるべき所以を説いたもの。邪法として名指しされるのは念仏と禅だが、ほとんどが念仏への非難に費やされている。その意図を日蓮は、邪智の聖人(法然)が、「末代の愚人の為に一切の宗義を破して選択集一巻を作り・・・実教を録して権経に入れ、法華真言の直道を閉じて浄土三部の隘路を開く」ことは赦せんと言っている。

要するに法華経をたたえ、ほかの法門を攻撃しているわけで、折伏を目的とした書である。後年日蓮の折伏の対象は、「 念仏無間、禅天摩、真言亡国、律国賊」という具合に、浄土宗、禅宗、真言宗、律宗にわたるのであるが、この書においては、真言は法華とともに肯定され、律宗は言及されていない。残る浄土宗と禅宗を対象に折伏するのであるが、その矛先はもっぱら法然の浄土宗に向けられている。それには当時の念仏の勢いがあったのだと思う。念仏は貴族から庶民まで、階層縦断的に影響力を強め、専修念仏を強調するあまりほかの宗門を攻撃していた。それに対して日蓮は、法華の行者としての立場から、法華経が浄土三部経より優れ、当然帰依すべき旨を強調するのである。

この書を「守護国家論」と名付けたについては、政教一致についての日蓮独自の考えがある。日蓮が帰依した天台宗には、国家守護の概念があったわけだが、それは宗教の力で国家を盛り立てようというものだった。これについて日蓮は、国家が特定の宗教すなわち法華経を受持し、国家の力で正法を普及すべきだと考えた。国家が正法すなわち法華経を受持すれば、下々に至るまで法華経が浸透し、世の中は正しく導かれるという信念があったわけである。

そんなわけでこの書は、法然を非難しながら、返す刀で法華経の護持するというスタイルを通している。その論理は、釈迦の言ったことを基準にして、どちらが釈迦の真意に近いかということを論証するというものだ。だから釈迦の言葉といわれるさまざまなお経が、論証の基準として持ち出される。日蓮が拠り所とするのは、無論法華経だが、その外涅槃業と無量義経も準用される。とくに涅槃業は法華経の流通分としての位置づけで、法華経と一体的に語られる。

小乗・大乗を問わずすべての仏経典は、どれも釈迦の言葉を記録しているという建前をとっている。だから形式的にはどの経典も平等なはずだ。そこに差別を設けて、特定の経典を特別視するためには、それなりの根拠がなければならない。その根拠づけは、天台智顗が教相判釈という形で行っていたのだったが、日蓮はそれに依拠しながら、自分流の格付けを行い、それによって法華経の優位と浄土三部経の劣位を認定し、自分は法華経にもとづいているのだから、より高い立場から念仏を批判する資格があるという理屈を採用している。

これは、法華経の優位を証明するために、法華経の優位を前提とする議論ともいえ、論理的な破綻を免れないと思うのだが、日蓮は不都合を感じない。日蓮にとっては、法華経の優位は証明を超えた絶対的な前提なのである。

ここで日蓮なりの教相判釈を紹介しておこう。それ以前に一つ指摘しておきたいのは、この文書の表現上のスタイルである。もともとのテーマがが論争的な性格を帯びていることもあって、この文書も極めて論争的である。基本的には、法華経の優位に完全には納得していない僧が、日蓮に向かってさまざまな疑問をぶつけ、それに日蓮が答えるというかたちを取っている。このように弁証法的な対話を通じてものごとの本質に迫るという方法は、西洋ではソクラテス以来の伝統を持つが、日本では日蓮が最初ではないか。日蓮の論争好きの性格が、期せずしてそのような方法をとらせたのだといえよう。

日蓮は、華厳経を最も古いものと認定している。それに阿含経、方等十二部経、般若経と続き、そのあとに無量義経をはさんで法華経が続く。涅槃経は法華経の流通品として成立した。要するに法華経は、主要経典のうち最後に成立したものであり、したがって仏説の集大成的な意義を帯びている。だからほかのすべての経を包括するような究極的な教典である、というのが日蓮の認識である。要するに歴史的な成立過程を根拠にして、法華経の優位を主張するわけである。実際には、小乗の経(阿含経)の次に大乗が成立し、大乗経の中では般若経がもっとも古く、法華経は華厳経よりも古い。だから歴史的な古さだけを基準にして経の優劣を論じるならば、その結果は日蓮とは全く違ったものとなる。

いずれにしても日蓮は、教典の外面的な属性をもとにしてその優劣を論じ、教典の内容そのものについては、あまり論じるところがない。せいぜい、大乗はあらゆる衆生の成仏を目指す点で小乗にまさり、その大乗の中で法華経は、二乗作仏を認める点でほかの経に勝ると言っている程度である。それでは、法華経自体の絶対的な優位を証明する論理にはならないだろう。法華経の絶対性を主張するためには、もっと内在的な証明が必要なのではないか。

この文書は、七点について逐次解明していくという構造になっている。七点とは、一に如来の経教において権実二経を定めること、二に正、像、末の区分を明らめること、三に選択集が謗法たる所以を明らめること、第四に謗法のものを退治すべきことを明らめること、第五に善知識並びに真実の法に会い難きことを明らめること、第六に法華・涅槃に依る行者の心得を明らめること、第七にその他の問いに答えること、である。

こうした問答を通じて、法華経が実経で、浄土三部経が権経である旨が確認され、権経によって世間をたぶらかす念仏はけしからぬという結論になる。その結論に大した根拠があるわけではないので、日蓮の非難は念仏宗にとって、言いがかりのようなものものとして映ったのは無理からぬところがある。日蓮の念仏攻撃は、たとえば次のような言葉となる。「釈迦・多宝・十万の諸の仏・天親・天台・妙楽の意の如くんば、源空(法然)は謗法の者なり。詮ずるところ、選択集の意は人において法華・真言を捨てしめんと定めて書き了んぬ。謗法の義疑いなきものなり」

法然が謗法の徒であるのは、法華を捨てて浄土三部経によっているからであり、その浄土三部経は権経であるから、法然の言い分は謗法なのだ、というような理屈が働いている。これを論理学の常識では論点先取りとか、循環論法とか言うのであるが、日蓮には無論そういう意識はない。ダメなものがダメなのは、ダメだからだ、というような理屈がまかり通っている。それは日蓮のみではなく、中世の日本人に通じる思考パターンだったのである。

ともあれ日蓮の法然攻撃は激する一方である。ついには次のような罵倒まで浴びせている。「しかるに源空深くこの義(法華経の言っていること)に迷ふが故に、往生要集において僻見を起して自らも失ひ他をもあやまつ者なり。たまたま宿善ありて実教に入りながら、一切衆生を化して権教に入らしめて、剰へ実経を破せしむ。あに悪師ならずや」。ここで実教といっているのは法華経のこと。法然は叡山で法華経を学んだにかかわらず、それを捨てて権経の浄土三部経に走ったことを責めているわけである。





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