立憲民主党の枝野代表が、今回の総選挙における事実上の敗北の責任をとって辞意を表明した。理由はつまびらかではないが、敗北の責任を追及する党内の声に、嫌気がさしたということらしい。それが事実なら、いかにも民主党の後継政党らしさを感じさせる。
立憲民主党は、前回の総選挙のさいに、小池東京都知事がしかけた政党再編劇に翻弄され、解体した民主党の残党を集めて、結成された。その音頭を枝野がつとめたわけで、そうした出生の経緯から見て、立憲民主党は、いわば枝野の個人商店のようなものだった。その個人商店の亭主が商売を放り投げたわけだから、店がつぶれるのは時間の問題ではないか。
政党が党首を交代させるのはごく普通のことだから、今回の枝野辞任もたいした騒ぎにはならないという見方もあるが、この政党が多かれ少なかれ枝野の存在感の上に立っていたことを思えば、枝野の退場は、政党の存在意義にかかわる一大事と見たほうがよろしいのではないか。
立憲民主党は、枝野の下にあっても、いまひとつ政治理念が明確ではなかった。そういう状態で共産党との統一をめざしたわけだから、有権者の混乱を招いたのは自業自得といえなくもない。しかし、枝野の後継争いに名乗りをあげた顔ぶれを見る限り、枝野以上に理念を感じさせるものはいない。ただの権力闘争を見せられているように映る。
権力闘争は、民主党の宿痾でもあった。民主党が有権者の支持を失ったのは、醜い党内抗争にあきれられたためだ。今回は立憲民主党が、その醜い権力争いを蒸し返したわけで、これでは有権者の支持を得られるわけがない。これに加えて、新しい党首に理念がないとなれば、立憲民主党が存在する意味もなくなる。
このままでは、立憲民主党は消滅への道を歩むのではないか。かつて、権力にしびれるあまり理念を失った社会党が消滅したように。
だが、立憲民主党の消滅が日本の政治にとってよいこととも思われない。それを補うような新しい動きが出てくるようには思えないからだ。立憲民主党が消滅すれば、その跡を埋めるのは新しい左派勢力ではなく、右派勢力だと思われる。日本政治の右傾化はこの数年の傾向だが、それが立憲民主党の消滅によって完成するわけである。
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