瀬戸内寂聴尼の成仏を祝う

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瀬戸内寂聴尼が、馬歯百歳を以て大往生した。尼のことだからきっと成仏したに違いない。だから小生はそれを悲しむのではなく、祝いたいと思う。

尼は、かねがね早くあの世に行きたいと言っていた。数えで百歳までこの世に生き永らえたことを恥のように言っていたものだ。たしかに生きすぎだったかもしれない。しかし尼の言葉で心を励まされた人が、どれほどいたかわからない。小生もその一人だ。老いを感じさせないで、人に生きる勇気を与えるというのは、仏か菩薩でなければできないことだ。尼はおそらく菩薩の境地に達していたのだと思う。

尼は、煩悩を切り抜けてその菩薩の境地に達したといえるのではないか。尼は恋多き人であった。恋は人を焼き尽くすものだ。その焼き尽くされた己の遺体の上に、尼は菩薩としてよみがえったのではないか。釈迦が悟りを開いたのは三十歳台の終わりの頃、尼は生後五十年あまりを経て、悟りの境地に達した。

尼はまた、作家としても、人の心をとらえる作品を多く残した。小生が愛読したのは、一遍や西行についての評伝であったが、尼は綿密な取材に奔放な想像力をかさねて、実に魅力的な人物像を描き出していた。そこには、人間を愛してやまない尼のやさしさが込められている。

そんな心やさしき尼の冥福を祈って、心から合掌したい。いや、冥福ではなかった。成仏を祝うのであった。





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