めぐりあう日:ウニー・ルコント

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ウニー・ルコントの2015年の映画「めぐりあう日(Je vous souhaite d'etre follement aimee)」は、実母を知らないまま養子として育てられた女性が、実母を求めて捜し歩くさまを描いた作品である。それに、フランスらしい人種差別問題とか、プライバシーの問題とかを絡めている。

日本では、人工生殖を含めて、親の権利のほうが重視されて、当事者の子どもの権利はそれほど重視されていないような気がするが、フランスも同じらしい。実母の情報を求める子どもに対して、行政機関はプライバシーを理由に積極的に協力しないのだ。それで子どもは自力で捜すことを強いられる。彼女は一人息子をつれて、実母の本籍がある町ダンケルクへと引っ越してくるのだ。そこで、意外なことから、実母との出会いを果たす。彼女は理学療法士として働いているのだが、その彼女の診療所に実母が患者としてやってくるのだ。

最初は、療法士と患者の関係だったが、やがて実母のほうが自分の生んだ子だと感づくようになる。一方子どものほうは、その患者が実母だとは思いもよらない。どういう理由かはわからない。いわば本能的な拒絶感を覚えるのだ。

そんなやりとりを経て、二人は最後には和解する。しかしかならずしも母子の関係を再構築しようとは思わない。親しい友人として認め合おうとするばかりである。それでも、二人ともそうした関係を結べることを喜ぶ、というような内容である。

メーン・プロットは、実母を捜し求め娘の心の動きを中心に展開していくのだが、それを取り巻く形で、女性と夫との夫婦関係、子どもをめぐる人種差別問題などが絡んでくる。女性を捨てた実母は、アラビア人の子を生んだのだったが、それを恥に思った母親(女性の祖母に相当)によって、生んだ子を養子に出されてしまったのだ。女性の息子は、祖父であるアラビア人の血を受け継いでいる。それが外見にも表れるので、差別的な扱いを受けることもある。

女性が、実母を受け入れなれなかった理由は明示的に描かれていない。彼女の心の動揺が丁寧に描かれるだけだ。息子を知人に預けて夜遊びをしたあげく、男を自分の部屋に連れ込んでセックスをする。翌朝早く帰って来た息子がそれに気づき、母親を侮辱する。「メス犬」といって罵るのだ。逆上した母親は息子を折檻する。ショックを受けた息子は家出をして、警察に保護される。そんなやりとりをしながらも、母と息子はすぐに和解する。息子にとって母親は、世界中で一番かけがいのない存在だから、その母親を失うことは、自分を失うことに等しいのだ。だからこの息子は、なんとか自分を失わずに、母親との関係を回復することができたわけだ。

この映画は、最後には実母と娘とが和解することになっているが、こういうケースがすべて、そのような結果に結びつくとは限らない。むしろ後悔する結果となることが多いのではないか。

この映画の原題は「へんな愛されかたはいや」という意味だが、たしかに人を愛するのはむつかしい。なお、監督のウニー・ルコントは韓国系のフランス人女性で、自分自身幼少のときに養子に出された経験があるそうだ。







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