内田樹・白井聡「属国民主主義論」

| コメント(0)
内田樹と白井聡は、どちらも日本の対米従属を強く批判してきた人間だから、この対話本の中で、日本の対米従属ぶりを属国にたとえて議論しているのは、わかりやすい。かれらは、この数年前にも、「日本戦後史論」と題する対談の中で、戦後日本の対米従属を厳しく批判していた。今回は、その批判を一層深化させたというふうに読める。

前回の対談では、日本の敗戦をもたらした最大の原因は、日本社会に内在していていた傾向が爆発したことだと言っていた。その傾向とは、軍人のなかのニヒリズムだという。日本軍は維新の際の官軍を母体としており、その官軍は薩長閥によって牛耳られていた。そんなわけで皇軍の実体は薩長藩閥の軍事力であった。ところが、時代の経過の中で、薩長藩閥の力が低下し、旧幕府側の諸藩の出身者が、軍の中枢を占めるようになった。かれらは、それまで賊軍として卑しめられてきたこともあって、軍組織に一体感をもてなかった。むしろ、こまれで自分たちを抑圧してきたシステムを破壊してしまえという心情をいだいていた。そこからニヒリズムが生じ、そのニヒリズムが国を滅ぼしたというのである。

ニヒリズムについての似たような議論が、この対談のなかでも繰り返されている。ただし、現代日本のニヒリズムの体現者は、日本を支配している勢力の中に根を下ろしているという。安倍晋三に代表されるその勢力は、一方では対米従属を深化させつつ、他方では戦後レジームからの脱却などと抜かして、戦後形成されてきた秩序を破壊しようとしている。かれらが標榜する保守主義とは、本来、安定的に機能している秩序を守ろうとするもののはずだが、かれらはそれを破壊して、別の秩序を打ち立てようとするわけだから、むしろ改革主義者というべきである。今日では、その改革主義者にむかって、穏健な人々が、憲法が体現する保守的な理念を守ろうとして動いている。これは実に倒錯した事態だ。そう内田らはいって、それも日本の対米従属といった事態が、日本の支配者たちの意識をねじらせているからだと指摘するのである。

戦後日本の対米従属は、吉田茂が始めて、岸信介が完成させたと思うのだが、それでも田中角栄などはまだ、日本の主権という意識を持っていたと彼らはいう。田中は、その主権意識にもとづいて、対中接近につとめたのだったが、それがアメリカの激怒をかった。犬のくせして主人の言うことを聞かずに、勝手なことをするのはけしからぬという理由からである。

田中が失脚したのは、アメリカの憎悪がもたらしたものだと、内田らは見ている。そんなこともあって、田中以降の日本の政治家はアメリカの意向に逆らえなくなった。大平などはそれでも、巧みに日本の主権にこだわる姿勢をとったが、中曽根以降は、完全に日本の主権を放りなげて、ひたすら対米従属を深めていった。安倍政権に至ってまた一段と深化し、いまや日本は完全に米国に従属する属国のようなありさまに陥ってしまった、というのが彼らの共通した見立てである。じっさいその通りだと思う。

安倍のような政治家を日本の指導者にしたのは、日本国民自身である。だから対米従属も日本国民の大多数が支持しているという擬制が成り立つ。普通の感覚では、外国に従属して恥じないというのは、買弁勢力とか売国奴とか言われるものだが、日本人にはそういう感覚はない。それが当然だと思っている。その理由は、日本人全体が幼稚化しているからではないか。そういって彼らは、日本社会の幼稚化について議論する。若い連中が大人になれないでかえって幼稚化するだけでなく、老人までが幼稚化している。ゲスな言葉でいえば、一億総幼稚化である。若い連中の学力は、当然国際水準からとり残され、国内的には、若い連中が夢をもつことが困難になっている。その結果、階級・階層の固定化が進み、日本はある種のカースト社会になりつつある。そんな日本を、若い連中は誇りに思うことはない。だから、要領のいい奴はどんどん外国に出ていく。かれらは日本になんの未練も持っていないのだ。で成功した若い日本人には、日本へのこだわりはまったく見られない。かれらは、金を儲けることができれば、世界中どこにでも出かけていくし、もし日本が戦争や大災害で済みにくくなったら、さっさと外国へ脱出するつもりでいる。そんな連中ばかりが大手をふる日本で、いまさら国を愛する意義について説法しても、暖簾に腕押しするようなものだ。

白井はともかく、内田には、かれなりの愛国心があるらしく、日本を住みやすい国にしたいと願っているフシがみられる。かれはそんな自分の故国への愛を、ときには危険な兆候と感じることがあるらしい。故国への過剰なこだわりは、ファシズムに結びつきやすいというのだ。じっさい内田は、昔の国粋主義者の書いた文章を読むと、こころが動かされるのを感じるそうだ。

そのほか、議論は多岐にわたるが、そのなかで特に印象に残ったものは、日本の人口減少についてのかれらの処方箋のようなものだ。かれらは、日本の人口減少の傾向をもはや避けられないという前提に立って、これからの日本は縮小社会であって、その縮小社会へどう適応していくかが課題だという。無理に成長させようとしても無駄なばかりでなく、有害だというのである。縮小する社会で無理に成長を実現しようとすれば、せいぜい軍事産業を盛り立てるほか手だてがない。軍事産業を盛り立てれば、自然戦争をしたくなるのは、アメリカの歴史を見れば明らかである。たしかに、軍需産業は国全体の経済を底上げする。軍需によって需要を創出し、経済の規模を底上げしようとするのは、軍事ケインズ主義といわれる。軍事ケインズ主義は、GDPの拡大には寄与するかもしれないが、それによって国民全体の幸福度があがることにはならない。かえって不幸の度合いを強める、というのがかれらの共通した見立てである。

ところが安倍政権のやることを見ていると、どうも軍事ケインズ主義を信奉しているフシが見える。安倍政権が、安保法制を整備して、集団的自衛権の発動をしやすくしたのは、アメリカへの軍事協力を強化するという意図のほかに、経済を軍需産業にむかってシフトさせる意図があるのではないか。そんな危惧を読者に感じさせながら、二人の対談は終わるのである。





コメントする

アーカイブ