女の一生:ステファヌ・プリゼ

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ステファヌ・プリゼの2016年の映画「女の一生(Une vie)」は、モーパンサンの有名な小説を映画化した作品。小生は学生時代に原作を読んだことがあるが、内容は大方忘れてしまった。ただ、プチブルの俗物根性を描くのが得意なモーパッサンが、フランスの貴族階級に属する人間たちをモチーフにとりあげたのが、以外に思われたことを覚えている。

この映画は、ほとんど説明を度外視しているので、原作の筋書きが頭に入っていないと、腑に落ちないところが多い。それでも、一人の愚かな女の一生が丁寧に描かれているという印象は伝わってくる。主人公の女性は、裕福な貴族階級の家に生まれ、何一つ不自由せずに暮らしていたのが、世の中の掟とか自分自身の愚かさによって、次第に窮地に追い込まれていく。それは彼女の自業自得だ、というようなメッセージが伝わってくるように作られている。そういう愚かさは、原作でも強調されていたと思うので、この映画はモーパッサンの原作の雰囲気をかなり意識して造られているようである。

主人公の女性には、生涯に二度大きな挫折が起る、一つは夫が不倫をしたこと、もう一つは最愛の息子を溺愛するあまりスポイルしてしまったことだ。夫は、一緒に育った乳姉妹で召使として使われていた女と不倫をしたほかに、親しく付き合っていた隣人の妻とも不倫をする。そのことを主人公は許そうと思うのだが、カトリック教会がそれを許さない。夫に罰を与えよ、というのだ。日本人なら、これくれいの浮気は別に目くじらをたてる程のことではない。男が不倫をするのは男の甲斐性くらいに思われているし、実質的に妾をかこう男は珍しくもない。ところがフランスではそうはいかないらしい。不倫は神への冒涜だというのだ。そういうのを聞かされると、カトリックというのは実に偽善的だと思わされる。ともあれ主人公は、夫に罰を下すはめに陥る、夫は恋人ともども、嫉妬にかられた不倫の女の亭主に、女ともども殺されてしまうのだ。

主人公が夫に裏切られた一方で、主人公の父親も妻、つまり主人公の母親に裏切られていた。主人公は、母親の葬儀の最中に、母親の恋人から寄せられた手紙、つまりラブレターを読んで、驚天動地の思いをするのだ。そんな母親に裏切られた父親を見るにつけても、主人公は気分が落ちるのを感じざるをえない。この父娘が並んで水辺を散策するシーンは、この映画のハイライトといってよい。

夫や両親がいなくなった主人公は、息子を溺愛する。そのあまりに息子をスポイルしてしまうのだ。この息子が彼女にとっては貧乏神となり、豊かだった財産をすべて使い果たしてしまう。愛する人も財産も失った主人公にとって、唯一の慰めは、家から追われていた乳姉妹のロザリが戻ってきたことだ。彼女は自分がかつて犯した罪の償いに、主人公を支えようとするのである。





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