鈴木邦男「新右翼」

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鈴木邦男は、右翼としては変わり種で、いわゆる左翼の主張にも理解を示すところから、ふつうの右翼からは煙たがられているようである。だいだい、右翼の定義が曖昧なのだが、鈴木自身は一応民族主義を基本的な要件としている。その限りでは伝統的な右翼との連続性がある。だが、今日の右翼の主流は、自民党政権に迎合して、対米従属に陥っている。そこが鈴木の気に入らない。鈴木は、日本民族の自立という立場から、対米従属を否定する。だから鈴木の政治的な立場は、反米愛国ということになる。愛国とはナショナリズムと言い換えてさしつかえないので、鈴木の右翼思想は反米ナショナリズムということになる。

ところで、反米ナショナリズムは、左翼の有力陣営の主張でもある。だから鈴木はそうした主張をする左翼と相性がいい。日本の右翼と共産党は不倶戴天の敵といった観を呈しているが、鈴木は日本共産党が反米ナショナリズムを主張する限りでは、それを評価するのである。

そうした鈴木の立ち位置を称して「新右翼」という言葉が生まれた。鈴木自身がその代表格と見られている。「新右翼」と題したこの本は、そうした鈴木が自分自身の個人的な経歴の紹介を兼ねて、新右翼とは何かについて、語ったものである。鈴木は新右翼の権化みたいな存在だから、かれが自己を語ることはそのまま、日本の新右翼について語るということになるのである。

鈴木は自分の思想、ということは新右翼の思想ということになるが、それに決定的な影響を与えたものとして三島由紀夫の自決を挙げている。自決といって思想といわないのは、三島自身に大した思想があったわけではなく、自決というパフォーマンスが、いかにも右翼らしい決断を示していて、そこに心情的な共感を感じるということのようである。三島の自決に加えて、野村耿介の自決にも大いに心を揺さぶられたと言っている。野村は、三島に比べれば伝統的な右翼の姿に近いものを持っていた。野村の主張は一人一殺主義的なテロの肯定を中心にしていて、自分の命を担保にして、愛国の情を国民に訴え、その覚醒を迫ろうとするものだった。それは三島も同じだが、野村は三島より純粋な形で右翼的な激情を世の中にぶつけた、というように鈴木は考えているようである。

鈴木の新右翼思想は、新左翼に強い連帯感をもっている。連合赤軍や東アジア反日武装戦線といった、今日では単なるテロリストか異常性格の犯罪者くらいにしか見られていないものに一定の評価を与え、場合によっては強い連帯感を示しているのである。これが鈴木の個人的な考えに出たものなのか、それとも新右翼全体に共通するものなのか、気になるところだが、新右翼は一応鈴木によって代表されているので、鈴木の主張が即新右翼の主張ということになるのだろう。

鈴木は、両親が生長の家の信者であって、子供のころから右翼的な考えに親しんでいたという。だから大学に入って学生運動に飛び込むようになると、右翼的な運動に深くかかわることになる。生長の家は、日本の右翼運動に深い影響を与えたことで知られる。反安保闘争期に出現した右翼的な学生運動(日学同など)は生長の家の強い影響の下にあったし、また、今日日本の右翼運動の全国的な組織として強い発信力をもっている「日本会議」も、もともと生長の家の信者だった者たちが中心になっている。もっとも生長の家は、いまや日本会議とは何らの関係もないといっているようであるが。

生長の家について鈴木は、谷口雅春を深く尊敬しているという以外には、語ることがないが、生長の家の理念を正しく受け継いでいるのは自分であって、日本会議のような輩ではない、と思っているようである。日本会議は鈴木の目には、たんなる権力のお先棒担ぎにしか見えないということらしい。

鈴木は、右翼と左翼がともに反米ナショナリズムを掲げている間は共闘できると考えている。ふつう、右翼が左翼と共闘するどころか、席を同じくするのも拒絶するところ、鈴木はみずから進んで左翼との対話に出かける。右翼と左翼との決定的な対立点は、天皇をどう考えるかであって、天皇を守るという立場を、もし左翼がとるのであれば、それは自分にとって同志だ、と考えているようである。日本会議をはじめ今日の堕落した右翼は、対米従属に加えて天皇への尊崇の念の欠如を感じさせる。あの輩は、天皇をまるで自分たちのおもちゃであるような、実に不遜な態度を平気でとっている。実に許しがたいことだ、というのが鈴木の率直な感想のようである。





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「成長の家」ではなく、「生長の家」にあらずや。

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