馬を放つ:キルギスの映画

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2017年のキルギス映画「馬を放つ」は、キルギス人の馬へのこだわりをモチーフにした作品である。キルギス人は、もともと遊牧民であり、馬は生活のために欠かせない動物であって、またかけがいのない伴侶として深い愛着をもたれていた。しかし、キルギス人が定住生活に移行するにしたがって、馬への愛着は薄れ、役に立たない馬を殺して食用に供するようにもなった。そんな時代の傾向に強い違和感を持った男が、馬の自由のために戦う、というような内容の映画である。

監督のアクタン・アリム・クバド自身が、馬を愛する主人公を演じている。かれは、優れた馬を見ると、それを自由に駆け巡らせてやりたいという気持ちに駆られ、草原に逃がしてやる。それを馬泥棒と受けとった人々によって迫害され、やがては殺されてしまう、という筋書きである。

その筋書きに沿って画面を展開しながら、キルギス人の人間関係とか、ものの見方の特徴といったものが伝わってくるように作られている。小生のように、キルギスについてはほとんど何も知らない人間にとって、非常に裨益されるところの多い映画である。

面白いと思ったのは、地域社会における住民関係のあり方だ。かれらは、犯罪を裁く法廷でさえも自分らで主催するのであるから、おそらく徹底した自治を行っているのであろう。その自治は、すべての成員が平等の資格で参加することに基づいている。だから、地域社会から追放されることは、社会的存在としての自分を失うことを意味する。この映画の中の主人公は、地域社会から追放された挙句、すべての保護を失って殺されてしまうのだ。

こう見ると、キルギスの社会は前近代的な野蛮な社会のようにも映るが、しかしその社会が徹底した自治に支えられていることは、直接民主主義に通じるものがあり、きわめて興味深い。

遊牧民族としてのキルギス人は、蒙古族の特徴を共有しているが、キルギスには他に印欧系の民族も住んでいて、いまでは人種の混在地帯となっている様子が、この映画からは伝わってくる。





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