安田浩一「『右翼』の戦後史」

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安田浩一は、ノンフィクションライターとして、右翼や日本社会の闇の部分に取り組んできたようである。外国人差別問題についても精力的に取り組んできたらしい。かれの著作「『右翼』の戦後史」(講談社現代新書)は、戦後の右翼の変遷について、非常に分かりやすい俯瞰図を示してくれる。また、戦後右翼史に接続させる形で、戦前の右翼についても説明してくれる。戦前から戦後につながる日本の右翼の流れについて、この本を読めばおおよその認識が得られると思う。

ノンフィクションライターという職業柄、自分の個人的な立場をなるべく表に出さないようしていることが感じられるが、時には右翼への強い違和感を表明することもある。とくに近年流行したヘイトスピーチについては、嫌悪感まで示している。それほどこいういうことをする人間が、まともでないということだろう。それに対して、本流の右翼の考え方には、一定の理解を示している。右翼は右翼なりに、社会の問題を意識している、そのことに対してジャーナリストとして一定の理解をするということだろう。

戦後右翼の動きを安田は四つの時期に分類し、それぞれについて一章ずつ割り当てている。第一期は、公職追放を解除された戦前の右翼が復活した時期。戦前の右翼は極端な排外主義を特徴としていたが、戦後復活した右翼は、親米を特徴とした。戦後の保守政権が親米路線をとったからだ。戦前から日本の右翼は政権の補完勢力として働いてきたが、それは戦後も変わらず、したがって戦後の保守政権の親米路線にあわせて、自分たちも親米になったということだ。

戦後の保守政権が直面した最大の課題は、労働組合や左翼政党による民主化運動にどう対応するかということだった。とくに1960年の安保改定問題を前にして、国内には巨大な国民運動が湧きたっていた。その国民運動をつぶす働きを、保守政権は右翼に期待し、右翼もまたそれに応えた。1960年代初頭までの日本は政治の季節にあって、右翼の出番もそれだけ多かったということだ。そのころの右翼は、児玉誉士夫のような戦前からの右翼が中心となっていた。

第二期は1970年代で、新右翼が台頭した。従来の右翼の本流が対米従属を疑問なく受け入れているのを強く批判し、民族の自立に拘った。一水会を中心にした動きだ。これは反体制的な動きをすることもあるので、体制に寄り添う従来の右翼には異端として映った。そんなこともあって、一水会を中心とした新右翼はあまり影響力を発揮することができなかった。

第三期は、宗教右翼の台頭。一水会も宗教団体生長の家にルーツを持っていたのだが、その生長の家を基盤とする別の運動から、やがて日本会議が育ってくる。この日本会議が、今日の右翼の中で最も大きな影響力を誇っている。その秘密は、政治に深く食い込んでいることだ。かれらは政治家を動かすとともに、広範な大衆運動を組織し、草の根右翼運動というべきものを推進している。その結果はすさまじいもので、安倍政権のもとで、政治の方向性に強い影響力を行使するとともに、国民の右傾化に巨大な枠割を果たした。その国民の右傾化に乗る形で、自民党の右派と宗教右翼が手を取り合って、復古的な体制変革とその象徴としての新しい憲法づくりを目指している。

第四期は、ネット右翼の跋扈。これは、国民の右傾化に便乗するかたちで急速に台頭した。ネット上で右翼的な主張を拡散するとともに、排外的な直接行動を起こしている。在特会がその先兵であり、各地で排外的な直接行動を起こし、それに一定の日本人が参加するまでになっている。在特会に代表されるようなネット右翼は、思想的な裏打ちがあるわけだはなく、社会の中の排外的な気分に乗じて、在日外国人にえげつない攻撃を加える。しかしそうした行為が馬鹿にならないのは、それが多くの日本人の本音を代弁しているからだ。いまや日本人は、他者に対する寛容性を失い、ひたすら自己中心の排外的姿勢に閉じこもっている。そこに安田は無気味さを感じるというのだが、おそらくそうした日本人の排外気分を通じた均一化が、ファシズムを呼び込みやすいと考えるからであろう。

以上戦後右翼の動きを継時的に追っており、時期相互のつながりもわかりやすく説明されているので、全体としてすっきりした記述になっている。しかも必要な範囲で戦前の右翼の流れを整理し、それを戦後の右翼の動きにつなげているので、少なくとも昭和以後の右翼の流れが理解できるようになっている。

「偽りを述べるものが愛国者としてたたえられ、真実を語る者が売国奴とののしられた世の中を、私は経験してきた」。これは三笠宮崇仁親王の言葉だそうだが、この言葉を引用しながら安田は、今の日本がそんなふうな社会に急速になりつつあることに、強い憂慮をいだかざるを得ないというのである。






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