パプーシャの黒い瞳:ジプシーを描く

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2013年のポーランド映画「パプーシャの黒い瞳」は、ジプシー(ロマ人)出身の女性詩人ブロニスワヴァ・ヴァイスの生涯を中心にしながら、ジプシー(ロマ人)の生き方を情緒豊かに描いた作品である。ジプシー(ロマ人)は、東欧を中心にして流浪生活を送ってきた少数民族で、ユダヤ人と同じく厳しい差別に直面してきた。ユダヤ人が早くから定住したのに対して、ロマ人は長らく放浪にこだわり、その生活の実態はほとんど知られていなかったという。ボードレールのような変わり者の文学者が興味を示したり、ジプシー音楽と呼ばれる独特の音楽が注目を集めた程度だ。

そんなジプシーの生き様に正面から取り組んだのがこの映画だ。それまでは、ジプシーを本格的に取り上げた映画はほとんどなかったから、この映画はかなりな反響を呼んだ。ヴァイス自身の名声は、すでに一部で知られていたが、その生涯や彼女の属するジプシー共同体の詳細については、この映画が情報発信の大きな役割を果たした。

映画は、1971年のある日、老いたヴァイスが、精神病院から連れ出され、自身の書いた曲に基づく合唱曲の演奏舞台に招かれるところから始まる。パプーシャことヴァイスはその曲を聴きながら、自身の生きて生きた厳しい生活を思い出すのだ。その思い出は、時間軸を無視する形でアトランダムに浮かび上がってくるが、それを時間軸にそって整理しなおすとつぎのとおりだ。

彼女は1910年に、ポーランドの森の中で産み落とされ、パプーシャと名づけられた。パプーシャとは人形の意味だ。人形はラテン語でプパといい、現代フランス語ではプペというから、それと親縁関係にある言葉だろう。もっともロマ人はインド紀元で、ラテン民族とは親縁関係にはない。ともあれ、パプーシャという名は不吉な運命をもたらすと占い師から言われる。その言葉通り、パプーシャの運命は過酷なものだった。

1921年、10歳のときに、ユダヤ人の女から文字を教えてもらう。彼女はその文字で自分の属する共同体の言葉を書けるようになるのだ。1925年、15歳のときに、伯父の嫁にさせられる。彼女はいやでたまらなかったが、父親の命令には逆らえない。逆らったら共同体から追い出される。それは死を意味するのだ。1939年に第二次大戦が始まると、ロマ人達はナチスの迫害の対象となる。彼女の属する共同体も、あわやアウシュヴィッツ送りになろうとする。だがなんとか生き延びる。もっとも移動中に襲撃され、仲間が殺されることはあったが。そのかわり彼女は、ナチスに襲撃されたポーランド人の村で、泣いている乳飲み子を拾い、その子を自分の子として育てることにする。

1949年、イエジーというポーランド人が、保護を求めてやってくる。官憲に追われているのだ。そのイエジーにパプーシャは、自分の作った詩を語って聞かせる。二人は愛し合う。だが結婚しているパプーシャにはどうずることもできない。そのイエジーが、嫌疑を解かれてワルシャワに戻る。そのかれにパプーシャは自分の書いた詩を送る。イエジーはその詩をポーランド語に翻訳し、出版する。その出版でパプーシャは一躍有名になるが、共同体の人々からは、ロマの秘密を明かしたかどで裏切り者扱いされ、そのあげく愛する息子からも捨てられる。気落ちした彼女は心を病み、精神病院に入れられてしまうのだ。映画は、その精神病院からパプーシャが連れだされるところから始まるのである。彼女は演奏会場で、自分の書いた詩が歌われるのを聞く。それはロマ人の、過酷だが自由でもある生き方を謳歌したものだった。

じっさいこの映画の魅力は、ジプシーたちのけなげな生き様と、それを彩る音楽の音色にある。その音楽は、映画の進行につれて、様々なシーンで繰り返される。それを聞くだけでも、映画を見る甲斐がある。





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