哲学革命:ハイネのドイツ思想史

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カントに始まりヘーゲルで頂点に達するドイツの哲学の流れをハイネは、「哲学革命」と呼んでいる。革命という言葉を使っているほどだから、これが哲学に及ぼした影響には、人類史的な重要性を指摘できる。たんにドイツ内部にとどまらない。世界的な規模で人類の思考のあり方を変える力をもっている、とハイネは考えた。もっとも革命の影響は短期間であらわれるわけではなく、それが完全に実現するには数百年かかると断ってはいるのであるが。

カントからヘーゲルへのドイツ哲学の発展は、ヘーゲル自身がかれの「哲学史」の中で説明している。それは、カントがドイツ観念論哲学の基礎付けを行い、フィヒテとシェリングがそれを展開させ、ヘーゲルが完成させたというような見取り図になっている。じっさいヘーゲルによれば、人類の哲学はヘーゲルによって最終的に完成したということになっているのである。

ハイネは、こうしたヘーゲルの見方をそのまま採用するわけではないが、しかし、カントからヘーゲルへの流れをほぼ直線的な発展過程と見るところは、基本的には変わっていない。哲学を含む思想についてのハイネの歴史観は、進歩史観なのである。

カントの哲学史上の意義をハイネは、カント以前の哲学が人間にとっての世界の見え方を論じていたのに対して、カントが、なぜ世界がそのように見えるのかということに着目したことにあると考える。従来の哲学が、人間の認識そのものを問題にしていなかったのに対して、カントは、「人間の認識能力そのものを、人間の認識能力の範囲、あるいは限界について」(伊東勉訳)論じた。これはコペルニクス的な展開だとハイネは言っている。コペルニクスは太陽を中心にして天界の運行を説明したわけだが、カントは人間の理性を中心にして世界の現れ方を説明したというのである。

カントが物自体と現象を区別したことを、ハイネは高く評価している。われわれ人間にとってたしかなのは、現象であって、それのみが認識される。物自体のほうは、そうした現象を生じさせる原因として考えられるが、それ自体としては人間にとって認識されない。だから、それについて存在を云々するのは馬鹿げている。そうカントは言ったわけだが、この「物自体」にハイネは神を含めたのである。人びとは神の存在を信じて疑わないが、しかし我々人間が神について語っているのは、神の属性についてであって、神の存在そのものは認識できない。古来神の存在証明についてさまざまな議論がなされてきたが、それらはいずれも神の属性を云々するものであって、神の存在を証明したものではなかった。

こういうわけでハイネが、革命という言葉を使ってまでカントの意義を強調するのは、カントが神の存在についての議論にとどめをさしたと思うからである。キリスト教徒を自称する無神論者ハイネにとって、カントは頼もしい先達なのである。

ところがカントは、認識の対象としての神は否定したが、実践的な道徳の問題としての神を否定しなかった。カントは、「純粋理性批判」の中では、物自体としての神の存在を否定しながら、「実践理性批判」のなかでは、理性の要請という形で、神の存在を復活させたのだ。それはある種ペテンのようなものだとハイネは憤り、次のように言うのだ。「カントは、ウェストファリアにいる私の友人とまったく同じようなかしこいことをやったわけだ。その友人はゲッティンゲン市のグローンデル町の街灯をのこらずぶちこわしてしまってから、そこの暗闇に立って、街灯がじっさい必要であることをながながと演説した。そして『街灯がないと何も見えないということを実践的に示すために、理論的にこれらの街灯をぶちこわしたのだ』と云ったのである。カントの神はこの街灯にあたるというわけである。

ともあれ、カントの主張が単に哲学界の内部にとどまっていたら、その影響は大したことはなかったであろう。カントが世界を震撼させるほど大きな影響を振るったのは、神の存在を否定したことによってである。そうハイネは考えるのだ。

フィヒテは基本的にはカントの亜流だとハイネは考える。フィヒテは、カントの観念論的な傾向を肥大化させて、世界を意識の産物とした。カントにとっては、世界は意識の随伴者だったのだが、フィヒテはそれを意識の産物だと強弁したのである。そこに一つの誤解が生じた。フィヒテの説をいぶかしく聞いた人々は、フィヒテが世界全体を自分自身の産物と見ているように誤解した。そこである貴婦人などは、「あなたはご自分の奥さんもあなたの意識が生んだものと思ってらっしゃるのですか」と言ったそうだが、それは彼女の誤解であって、フィヒテのいう意識とは、フィヒテの個人的な意識ではなく、人類全体の意識を代表するものなのだ。

ところで、フィヒテが無神論者の嫌疑をかけられて世間から攻撃されたことをハイネは重く見ている。カントは物自体はそのものとしては認識できず、したがってその存在を確認することはできないという形で神の存在を否定したわけだが、フィヒテの場合は、世界は人間の意識の産物だと主張することで、神を含めた世界の全体を人間の産物だと見ることになった。それがキリスト教徒たちには不遜な態度と見えたのであろう。そんなフィヒテを、汎神論者として実質的な無神論を奉じていたゲーテは擁護しなかった。他人事としてすませていたのである。ゲーテには高い社会的な地位があったので、つまらぬことで無用な争いにまきこまれ、自分の地位に傷がつくことを恐れたのだろう、とハイネは推測している。

シェリングは、フィヒテと同じようなことを、逆の方向から実践したとハイネは言う。フィヒテは世界は意識の産物ということで、意識を自然化したのであったが、シェリングはそれとは逆に、自然を意識化した。その結果シェリングの思想には汎神論的な色彩が強い、とハイネは見ている。世界を汎神論的に見るとは、ゲーテの場合そうであるように、世界を詩的にみることである。ゲーテは古典主義的な均衡感覚をもっていて、自然を美しく歌いあげることができたが、そうした文学的な才能に恵まれていないシェリングは、支離滅裂なことを言うようになった。それを評してハイネは、「むしろ狂人になったと云いたい」と言っている。

シェリングのあとにヘーゲルが来るが、なぜかハイネは、ヘーゲルについてほとんど語らない。ただ「ドイツがライプニッツ以後に産みだした最大の哲学者」といって敬意を表しているばかりである。

ところで、シェリングには、実存主義の先駆者という評価もある。その評価は、シェリングの後期の思想に基づいたもので、ハイネにはその部分は見えていない。実存主義は、ヘーゲル以後の新しい思想の流れをまず立ち上げたもので、それ以後も西洋哲学はいろいろな変化をたどるのだが、ハイネはヘーゲルを以て、西洋哲学は終結したと考えている。それは時代の制約を前提にすれば、仕方のないところだといえよう。





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