雑誌「世界」のウクライナ特集を読む

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岩波書店発行の雑誌「世界」が、直近の5月号でウクライナ侵攻に関する緊急特集を組んだほかに、「ウクライナ侵略戦争」と銘打った臨時増刊号まで出して、この問題をさまざまな視点から解説している。それらを読んだ印象は、当初はプーチンの暴挙を厳しく非難するものがある一方、プーチンをそこまで追い詰めた西側にも一定の責任があるという論調もあるということだった。二つの特集を読み比べると、後から出た臨時増刊号の諸論文のほうが、プーチン非難の調子が高まっているようである。

これは、書き手の政治的な傾向をありのまま反映しているのだろう。日頃ロシアのシステムに批判的な人びとは、これを機会に自分のロシア批判を強めたのであろうし、日頃資本主義システムの自由主義的逸脱に批判的だった人々は、プーチンよりも西側の責任を云々するのであろう。

だから、どうということもないのだが、一つ気になったのは、スラヴォイ・ジジェクが寄せた短い文章である。この文章の中でかれは、アフガンの問題が歯牙にもかけられない一方で、ウクライナの問題が声高く議論されるのは、ヨーロッパ的な感覚に毒されているからだろうと匂わしている。そのうえで、この問題が大騒ぎをひき起こしているのは、西側の欧米諸国とその伴侶の国々であって、いわゆる第三世界に属する国々は距離を置いているという。親露的だった中国はともかく、インドや中東諸国も、ほとんど関心を示していない。これはヨーロッパ人種同士の問題であって、それに自分たちが首を突っ込むいわれはないといったような反応ぶりだというのだ。

たしかに、スラヴ人とはいえ、ヨーロッパ人種同士が殺し合いをしているのに、ほかの人種がわざわざ首を突っ込む必要はないかもしれない。なにしろヨーロッパ人種というのは、記録された歴史の範囲内だけでも、つねに殺し合いに熱中してきた。20世紀に起きた二つの世界大戦も、もとはといえば、ヨーロッパ人種同士のいがみ合いから発したものだ。今回、第三次世界大戦の可能性まで議論されているが、もしそうなれば、地球はまたもやヨーロッパ人種同士の殺し合いに巻き込まれるわけである。

そんなわけだから、第三世界を始め、非ヨーロッパ人種の世界が、この問題を冷静に受け止めているのは、賢いことというべきだろう。バイデンやゼレンスキーの激越な扇動に浮かされて、理性を失うことの危険性は、当のヨーロッパ人種に属する人間にとっても、多少頭を働かせれば、わかることではないか。





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