楽園からの旅人:エルマンノ・オルミ

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エルマンノ・オルミの2013年の映画「楽園からの旅人(Il villagio di cartone)」は、イタリアにおけるアフリカからの難民をテーマにした作品。それに教会の廃止問題をからませてある。イタリアは難民に対して厳しい姿勢をとっているらしく、フランスと比べても、町に黒人の姿をみることが少ない。黒人ばかりが難民とは限らないが、そもそもイタリアの町には観光客以外の外国人を見かけることは少ないので、やはり難民の絶対数が少ないのだと思う。その点は日本と似ている。

一方、教会の廃止ということは、小生などにはちょっと理解し難いが、実際にあるのだろう。この映画は、廃止されて取り壊しの運命を待っている教会を舞台に、そこにやって来たアフリカ難民を、司祭が受け入れる様子が描かれる。司祭は、自分自身の信仰に疑問をもっているようで、それを難民の支援という形で確かめようとする。難民は不法移民であり、それを助けることには、多大のリスクが伴うのだ。

見所は、大勢の難民が教会の中に俄コミュニティをつくり、その存在を知った官憲を相手に、司祭が体をはって守るところ。一方、難民の間にも心情的な対立があったり、また一部に過激な分子もいたりで、一枚岩ではないというところが強調される。そんな難民たちを司祭は平等に処遇するのである。

難民の数は二十人ばかりに膨らむ。彼等の大部分は、フランスに移動することになる。ブローカーがいるのだ。そのブローカーはやはりアフリカ出身で、同胞の苦境に乗じてビジネスをしているのである。

あまりドラマティックではない。難民たちはほとんど話をしないし、かれらと司祭との触れ合いがきめ細かく描かれるわけでもない。しかし司祭の信仰上の苦悩は伝わってくる。それに対して官憲は、なかばは強圧的で、なかばは微温的な振る舞いをする。やはりカトリック国らしく、教会に対して無下に扱う気持にはならないのだろう。

原題は「ダンボール村」という意味。難民たちが教会の礼拝堂に俄に造ったコミュニティをさしているのだろう。なお、監督のエルマンノ・オルミは、「木靴の木」では、昔のイタリアの農奴制的社会関係を鋭く批判していた。社会的な視線を強く感じさせる映画監督である。





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