アッタ・トロル:ハイネの政治詩

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1841年の初夏、ハイネは一月あまり、愛人マティルドをともなってピレネー山中の温泉に滞在した。バスク人が住んでいるところである。その折のことをヒントにして長編詩「アッタ・トロル」を書いた。紀行ではない。政治的な内容を含んだ諷刺詩である。1846年に出版した本の序文に、「当時はいわゆる政治詩が流行していました。反政府派がその皮を売って文学となった」(井上正蔵訳)と書いているが、ハイネもその流行に乗って、同時代のヨーロッパとりわけドイツを批判したというわけであろう。アッタ・トロルとは熊の名前で、そこにはハイネ自身が投影されていると考えてよいが、そのアッタ・トロルも人間に皮をはがれて床の敷物にされてしまうのである。

同じ序文の中でハイネは、「この時代は精神の不譲渡権を擁護することが必要でした。とりわけ文学の世界でそうでした」と書いている。そして自分自身、精神を擁護することが生涯の大事業だったから、この作品のなかでもそのことをおろそかにはしなかったと言っている。そのかわり、作品の美的価値を犠牲にするのもいとわなかったという。もっともそれはハイネ一流の謙遜であって、躍動する文章を通じてハイネの精神的な高揚が伝わってくる作品である。

かなり長い詩である。全体は大きくわけて三つの部分からなっている。第一は、黒熊アッタ・トロルの英雄的な行動。このアッタ・トロルはハイネの分身と考えてよい。そのハイネの分身が、熊の立場から人間社会の不合理性を批判するわけである。第二は、ハイネ自身と思われる詩人が、妖魔ウラーカとその息子ラスカーロとともに熊狩りをする話。ラスカーロは詩人の従者としてつきしたがうのだが、幽霊のように存在感がないのだ。一方ウラーカは魔女のような怪しい雰囲気を漂わせた老婆として描かれている。第三は、その老婆ウラーカの陰謀によってアッタ・トロルが捕縛され、皮をはがれてしまうところを描く。アッタ・トロルはヨーロッパ社会の批判者として現れたわけだから、それが殺されるのは、精神の不譲渡権が蹂躙されたということだろう。そのアッタ・トロルを殺した老婆は、ヨーロッパ社会の古い支配層を代表しているのだろう。

もっとも精彩があるのは、アッタ・トロルが主役となる第一の部分だ。アッタ・トロルは妻のムンマとともに人間に囚われ、見世物にされているのだが、あるとき単独で逃走に成功する。逃走したアッタ・トロルは山の中の巣に戻り、息子たちに向かって教訓を垂れる。人間への警戒と熊としての誇りだ。アッタ・トロルは言うのだ。人間は貪欲な生きもので、
  人間は、すべてこの世の
  財宝を取りっこしている
  それも、果てしないつかみあいだ
  どいつもこいつも泥棒だ!
  そうだ、全部のものの遺産が
  めいめいの略奪物になっている
  そのくせ、所有権とか
  私有財産とかぬかしやがる
  私有財産! 所有権! 
  おお、盗む権利! 嘘つく権利!
  こんなけしからんむちゃくちゃの悪企みは
  人間でなけりゃ考えだせない
こうした言葉から人は、ハイネの私有財産否定と共産主義的傾向を読み取ることができるであろう。

第二の部分は、ハイネがラスカーロをともなってピレネー山中を歩き回るさまを描く。かれらの目的は熊狩りだが、詩人のほうは熊のことはそっちのけで、腐敗したヨーロッパ社会を批判してみたり、ユダヤ女のすばらしさを感嘆してみせたりする。そのユダヤ女は、洗礼者ヨハネの首をはねたというヘロディアスによって代表される。
  森で狩猟ができたら! ヘロディアスよ
  ぼくはいつもおまえと並んで馬を進めたい!  
  なぜなら、ぼくはおまえがいちばん好きだからだ!
  あのギリシャの女神よりも 
  あの北方の妖精よりも
  ぼくは、おまえが、死んだユダヤの女が好きだ!
これは、ユダヤ人としてのハイネの自覚を物語るものだろう。

第三の部分は、アッタ・トロルが老婆ウラーカの策略にはまって殺されるところを描く。ウラーカは、ムンマの声色をつかってアッタ・トロルをおびき出し、それを息子のラスカーロが銃殺するのだ。その場面を詩は歌う
  こうして、この高貴な英雄はたおれた
  こうして、アッタ・トロルは死んだ
  しかし死後、彼は詩人にうたわれ
  詩の中でとこしえに生きることだろう

しかし、英雄が生き続けるのは、あくまでも詩の中であって、現実の世界では、こざかしい悪人どもがはびこる。その悪人が栄える様子を、詩は次のように歌う
  気違いが才人の振舞いをする!
  智慧が狂気となる!
  臨終の溜息が突然  
  大笑いにかわる
  ・・・
  その雀どもが、稲妻をもつ
  ゼウスの鷲のようにふるまっている
 
こうした倒錯した世界の眺めをハイネを次のように皮肉って、この長編詩を閉じるのだ。
  時が変われば鳥もかわる!
  鳥が変われば歌も変わる!
  ぼくの耳が変われば、きっと
  その歌も好きになるだろう。

なお、この詩の中では、ドイツは遅れた国の代表であり、そのドイツよりもスペインはさらに遅れているとハイネは攻撃している。
  たしかにスペイン人は近代文明のうえで
  千年もおくれている
  東方未開のドイツ人は
  百年おくれているだけだが

百年でも十分に遅れていると思うのだが、スペイン人は千年も遅れているというわけだから、ハイネがスペイン人をまともな人間と見ていないことはたしかである。










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