八日目の蝉:成島出の映画

| コメント(0)
japan507.cicada.jpg

成島出の2011年の映画「八日目の蝉」は、幼女誘拐とその後に展開される愛憎劇である。誘拐された子供が誘拐した女を母親と思い込んで強い愛着を感じていたために、実の両親との間がうまくいかず、社会にも適応できなくなった、そんな不幸な生き様を描いている。

幼女を誘拐したのは、その子の父親と不倫関係にあった若い女(永作博美)。その女は、妊娠した自分の子を堕胎した一方で、男の妻が出産したので、その子を連れ去ってしまう。夫婦が子供を一人で放置して外出したところを家に入り込んで、子供を連れ去るのだ。

女はその子とともに、社会から身を隠してひっそりくらす。特に、キリスト教関係の新興宗教が運営する駆け込み寺のようなところでの生活が印象的だ。その後、小豆島に赴き、そこでひっそりと暮らす。その逃避行に、ジャーナリストを名乗る女が付きまとう。この女はやがて、駆け込み寺で一緒に暮らしていたことを打ち明ける。

女の逃避行は3年半で終わる。村の祭りに参加する女と子供を写した写真が全国紙に掲載され、それを見た子供の実親が警察に相談したらしいのだ。かくして女は逮捕され、子供は実の親に引取られるが、通常の親子関係は築けないといった内容だ。

映画は、前半では主に女と子供の触れ合いを、後半では子供が成長した後のことを描く。この二つは厳密に区別されているわけではなく、映画の中で交互に映し出されるので、見ているほうは最初戸惑ってしまうのだが、やがてなれる。なれる頃には、誘拐した女と、その女に強い愛着を感じる子供との関係がどうなるのか、そこに観客の思いは集中するのだが、結局この二人があうことはない。二人は思い出の中で会うだけなのだ。しかも、後半部では、女は出てこない。成長した子供のその女へ愛着が伝わってくるだけである。その愛着は、その女が「恋しい」という言葉がふさわしいほど、切羽詰まったものなのである。

子供は、自分を愛するものから引き離した実の親に心を許すことができない。それを実の母親は受け入れることができず、ことあるごとにヒステリー症状を呈す。子供がいなくなったのは、実の親が子供を一人で放置したからなのだが、そういう反省は一切しない。ただ連れ去った女を呪い、そのことで、女に愛着をもつ子供の気持ちを踏みにじるのだ。

なお、成長した子どもも、自分を連れ去った女同様妻子持ちの男と不倫し、妊娠したことになっている。その子を実の母親はおろせと迫るのだが、子供を一人で生み育てるつもりでいる。自分を連れ去った女と、同じ境遇になりたくないのだ。その女は、不倫相手の子を対象に母性を注ぐのだが、自分は実の子を愛したいと思うのだ。

永作博美の演技がよい。この人は独特の雰囲気をもっていて、それが人の心をつかむ。





コメントする

アーカイブ