エリックを探して:ケン・ローチの映画

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ケン・ローチの2009年の映画「エリックを探して(Looking for Eric)」は、自信を喪失した冴えない中年男が、すこしずつ自信をとりもどす過程を描いた作品。かれが自信を喪失したのは、父親との関係が失敗したこと、それとのかかわりで恋人との関係を築けなかったこと、里子として育てている息子たちから馬鹿にされていることなどに起因している。つまり、この中年男は家族関係につまづいて自信を喪失したわけで、そういう意味では、イギリスの家族関係のあり方が真のテーマといってよい。

エマニュエル・トッドによれば、イギリス人は伝統的に核家族を形成し、親子の間、とくに父親と長男の結びつきが強いという。父親は長男を特権的に扱い、下の子供たちには、長男に服従するように求める。これは、親子の間では権威主義的であり、兄弟の間では非平等の関係が支配的ということだ。そのことからイギリスでは、平等主義的な価値感が育たないとトッドは主張している。

この映画の中の家族は、一家の大黒柱であるべき父親エリックが、イギリス人として期待される父親像から著しく逸脱している。彼には父親の権威はまったく感じられず、実子ではないとはいえ、二人の息子から馬鹿にされる始末である。そうなった理由は、若いころに自分の父親からスポイルされたことだ。かれは若い女性と仲良くなり、子供まで作りながら、父親に反対されてその女性を捨ててしまう。理由は、父親によれば、若すぎるということだった。このように、人生のスタートで躓いてしまったために、このエリックという男は、イギリス人の男に期待される役柄を遂行できず、ある種腑抜けになってしまっているのである。

かれは、少年時代からサッカーが好きで、地元のチーム、マンチェスター・ユナイテッドの熱狂的なファンである。そのマンUの英雄だったエリック・カントナにかれはあこがれていたのだったが、その憧れのカントナが、突然彼の前に現れ、なにかと彼を励ましてくれるのだ。カントは幽霊であるから、他の人には見えない。主人公のエリックの眼にしか映らないのである。

そのカントナから、エリックは男としてたくましく生きる気概のようなものをたきつけられる。好きだったのに、結果的に捨ててしまった女性リリーと、あらためてやり直す努力をするとか、自分を馬鹿にしている息子たちがやくざに絡まれてピンチに陥っているのを見ると、自分の身を張って助け出そうとしたりとかだ。やくざとの対決においては、職場の郵便配達仲間の力をかりて、やくざをとっちめることに成功する。かれは父親としては失敗したのだったが、親身になってくれる仲間には恵まれていたのだ。

そんなわけでこの映画は、イギリス人男性として期待される人間像・男性像を描いたものといってよい。その男性像は、イギリスの伝統的な家族的価値観を反映しているわけで、どんな人間にも当てはまる普遍的な人間像というわけではない。

なお、この映画に出てくるエリック・カントナは、サッカーのフランス代表で、マンチェスター・ユナイテッドをたびたびリーグ優勝に導いたという。そのカントナが、自分自身として登場する。





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