サルトル「方法の問題」を読む

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サルトルの論文「方法の問題」は、もともと独立した論文として1957年に「レタン・モデルヌ」に発表されたものだ。それが1960年に「弁証法的理性批判」の刊行に際して、その冒頭に収録された。この大著にとっての緒論的な扱いであった。サルトルがそうしたわけは、この論文が実存主義とマルクス主義との関係、その革新的な問題としての弁証法の位置づけについてテーマとしていたからだろう。要するに「弁証法的理性批判」における問題提起を、この論文が先取りしており、したがってそれの緒論としてふさわしいと考えたからだと思われる。

この論文でサルトルは、マルクス主義こそは、現代人にとっての包括的な思想体系だと認めたうえで、そのマルクス主義とかれの実存主義思想とが、どのような接点を持つのかについて、縷々説明している。その説明のスタンスは、マルクス主義を人類の進歩を促す唯一の思想と認めながらも現実的には多くの問題を抱えている、とするものだ。その問題は、ソ連によるハンガリー侵攻、いわゆるハンガリー動乱によって露呈した。この動乱は、ソ連の侵略性の露骨なあらわれだとして、ソ連の体現する共産主義への疑問を世界的な規模で噴出させることになった。サルトルはそうした動向を背景にして、人類にとって唯一の進歩的思想であるマルクス主義が、なぜそのような硬直した態度に陥らざるをえなかったか、それを明らかにすることで、マルクス主義を正当な道に引き戻したい、と考えて、この論文を書いたようなのである。その際に、マルクス主義の間隙を埋めるものとしての実存主義の有効性を強調し、マルクス主義と実存主義とが相携えて、人類の進む道を明るく照らしたい、というわけなのである。

サルトルがマルクス主義を、時代を主導する思想だと考えるわけは、「哲学とはまず、<興隆期にある>階級が自己についての意識をもつ或る仕方である」(平井啓之訳)と考えたうえで、その<興隆する階級>であるプロレタリアートの自己についての意識をマルクス主義があらわしていると考えることにある。<興隆する階級>というのは、時代を方向付けする階級である。その階級の自己についての意識であるマルクス主義は、人類の未来を担うべき唯一の思想である、とサルトルが考えるのは、階級意識がかつてなく高まっていた第二次大戦直後のヨーロッパにおいては、無理もないことだったと思われる。とにかくその当時のサルトルは、<興隆する階級>としてのプロレタリートに、人類の未来の導き手を見ていたのである。

だから、マルクス主義が、プロレタリアートの自己意識として謙虚に振る舞っていたならば、サルトルとしても何も言うことはなかったであろう。ところが、ハンガリー動乱に象徴されるような硬直した振舞いに及んだ。その理由は何か、そしてそうした硬直した姿勢を改めて、マルクス主義本来の立場に戻るには何が必要か、それを解明することがこの論文の目的である。決論的に言うと、マルクス主義にそうした硬直性をもたらしているのは、非人間的な唯物論であり、それを打破するものは、人間の思想つまりユマニズムとしての実存主義しかないとするわけである。

そういうわけでこの論文は、マルクス主義と実存主義の結婚をめざしたものと言える。実存主義者であるサルトルは、この結婚における新婦の立場から、新郎の欠陥を矯正し、お互い納得できる夫婦関係を築き上げたいと言いたいようである。その場合、新婦が新郎のために改めるべきことはない。新郎が鷹揚に譲歩してくれれば、理想的な男女関係が成立すると考えられている。

では、新婦が新郎に求めるものは何か。それは、ごく単純化して言うと、歴史の必然性を強調するあまり、人間の自由を軽視する態度を改め、人間の自由を最大限に尊重するべきだということである。マルクス本人は、人間の自由を尊重する姿勢はあった。ところがエンゲルスをはじめ「マルクス主義者」を自称する連中が、歴史の必然性の前に、人間の自由を無視した。それでは人間的な思想とは言えぬし、また、社会を変革する力ももてない。人間的であり得ない思想に、人間を鼓舞して変革に立ちあがらせる力はないからだ。

そんなわけで、この論文は、必然性に対する自由の優位を強調する点では、「唯物論と革命」の延長上にあるといってよい。ただ、「唯物論と革命」においては、マルクス主義への懐疑のほうが前面に出ていたのが、この論文では、マルクス主義を、操をささげる相手として認めたうえで、その足らざる部分を、実存主義が埋めるという立場をとっている。戦後数年間の間に、マルクス主義へのサルトルの評価は、劇的に転換したのである。

サルトルは、「実存の理解がマルクス主義的人間学の人間的基礎としてあらわれる」と言っている。マルクス主義は、実存主義によって人間的に基礎づけられてこそ、社会を変革する理念となりうる、そうサルトルは考えるのである。






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