国際社会の分断とイスラエルの繁栄

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ウクライナ戦争をめぐって、自由でリベラルな国家と専制的な国家の対立という図式が流布されている。欧米をはじめとしたリベラルな国家は、自由と民主主義を奉じるウクライナが、専制的な国家であるロシアに侵略されるのを見過ごすことはできない、といった理由から、欧米諸国のウクライナ戦争への介入が正当化されている。それは、今の国際社会の深刻な分断を反映しているのであろう。そういう状況をどう考えるか。雑誌「世界」の最新号(2022年12月号)が、「分断された国際秩序」と題して、ウクライナ戦争をめぐる、世界の分断について特集している。

いろいろな論文が寄せられてるが、その中に、「イスラエルが繁栄する陰で」(鶴見太郎)と題する小文が眼をひいた。イスラエルは、今回のウクライナ戦争に、深いかかわりがあるわけではない。それなのに、世界の分断を特集するなかで、なぜイスラエルをテーマとするのか。そこが興味深く映った。

イスラエルは、国内的には(国民との関係では)、一応自由と民主主義が尊重される国家というふうに受け止められるのが普通である。ところが、パレスチナ人に対する関係においては、抑圧的で専制的な権力そのものである。そんなところから、20世紀におけるイスラエルの国際的な評判はいいとはいえず、むしろ反リベラルで抑圧的な国家とみなされた。それが、21世紀にはいると、アメリカの「テロとの戦い」のからみで、イスラエルはリベラルな価値を共有する国だとみなされるようになった、とこの小論はいう。「アメリカから見て、イスラエルはリベラルな国際秩序の問題児から、それを守るためのキープレーヤへと変貌した」というのである。

それには、イスラエル国家が、とくに軍事的な面で、欧米諸国にとって都合のよい国になったという事情がある。とりわけ、イスラエルの軍事的な技術には目覚ましいものがある。アメリカはイスラエルに対して軍事支援をする立場だったものが、逆にイスラエルの軍事技術の模倣者になったというのである。その背景には、1990年代から2000年代初頭にかけて、旧ソ連から120万人ものユダヤ人が流入し、かれらが情報通信産業はじめ、軍事技術の発展に貢献したという事情があった。その移民技術者が中心となって、先端技術の開発が進められたのだが、そうした技術開発の実験台として、パレスチナ人が利用された。つまりパレスチナ人を抑圧するための技術が、高度な軍事的な価値を生み出したというわけである。

この小論は、そうあからさまに言っていないが、イスラエルの繁栄の陰には、パレスチナ人への抑圧の強化があったといいたいようである。他者の抑圧の上に成り立つリベラリズムを、果たしてリベラリズムといえるのかどうか。そんな問題提起を、この小論はしているように思える。





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