椿山荘の日本料理屋みゆきにて

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先日アナゴ料理を食った仲間と久しぶりに小宴を催した。場所は椿山荘内の日本料理やみゆき。一種のバイキング方式で、自分の食いたいものを食いたいだけ食えるというコースを選んだのだが、普通のバイキングと違って、席にいながらにして料理を注文することが出来るというものだ。本当なら二週間前に行う予定だったのだが、例の台風騒ぎで延期したおかげで、Oが参加できず、Y夫妻とM、それに筆者の四人ということになった。

早稲田の正門で待ち合わせ、ぶらぶら散歩しながら椿山荘に行こうということにしてあった。このグループは、Yの細君も含めて全員が早稲田のOBなので、折角近くまで来るのだから、早稲田で落ち合ってから会場にいこうという話になったわけだ。

地下鉄の早稲田駅で降りて、階段を上りかけたところでY夫妻から声をかけられた。そこで三人一緒に連れだって歩き、高田牧舎の脇を通って構内に入った。構内に入るのは実に久しぶりのことだ。何年振りだろう。この間に構内の様子が随分と変わってしまっているのに驚いた。建物が次々と高層化されており、我々が根城にしていた政経学部の建物も、立て直しの最中だった。こんなわけで、キャンパス内は狭い道を挟んで高層建築が林立するといった光景を呈し、どうも窮屈な印象を受けた。

構内を一巡した後、正門前でMとも落ちあい、四人歩みをともにして、大熊講堂裏手から大通りを渡って神田川に出、新江戸川公園から胸突坂を上り、永青文庫脇の細道を歩いて目白通りに出、椿山荘の正門をくぐってホテルに入った。

まだ時間の余裕があるというので、日本庭園を散策した。ここには過去二三度来たことがあるが、どういうわけか、この庭園に足を踏み入れるのは初めてだ。目白の高台と神田川の渓谷との間にある斜面の高低差をうまく利用して、なかなか風情にとんだ庭園だ。ホテルの利用客でなくとも気軽に立ち入れるということなので、読者諸兄にも行ってみることを勧める。そう損はしないと思う。

料理屋の席に案内されると、まずオードブルの冷菜が出て来た。とりあえずこの冷菜をつまみにして生ビールを飲み、その後銘々に好きなものを注文するかたわら、日本酒を飲んだ。頼んだ銘柄は八海山と南部美人とかいうやつだ。後者を飲むのは初めてだが、これがなかなかうまい。八海山よりもずっとうまいと言えば、そのうまさが幾分かは分かってもらえると思う。

料理の方は和洋折衷で、寿司がある一方でビフテキもある。筆者は肉には食指が動かぬのでもっぱら和風のものを食ったが、他の三人はビフテキを食った。こんなところでビフテキに手がでるのだから、この一行がいかに健啖家か、想像できるだろう。

それぞれ近況を語り合うことから談笑が始まった。Yは定年卒業後慶応の経済学部の修士課程に入学し、金融論を勉強しているそうだ。Mの方は昨年中央の経済学部の修士課程に入学し、今年は二年目だそうだ。そこで目下修士論文の作成に向けて、馬力を入れているところだという。

そこで今宵は経済談義に花が咲いた。なかでもアベノミクスの効用が話題になった。筆者は、あれは実体を伴わないから騒ぎだといったところ、Mのほうはその通りだと賛成したが、Yの方は一定の理解をしているように見えた。アベノミクスのおかげで円安になり、それが日本経済を上向かせているのは間違いのないことだから、やはり評価すべきだという意見だった。筆者は伊東光晴が最近号の「世界」に書いていた論文を持ち出して、円安はアベノミクスではなく為替操作の結果ではないのかといったところ、Yは為替操作で円安が実現するほど簡単な理屈ではない。伊東光晴は時代遅れのオールド・エコノミストだから、そんなものを相手にする気にはなれないね、となかなか冷めたたことを言う。

ついで暮らし向きが話題になった。Y夫妻は最近川崎のマンションから大船の一軒家に引っ越したそうだ。細君がいうには、そのあたりは所謂限界集落で、老人世帯しかいないのだという。そこから老人の生き方が話題になり、自分たちも老後はどうしたらよいかなど、未来を見据えた話に展開した。筆者は、自分は是非家内よりも先に死にたいし、しかも自分の家の畳の上で死にたい、などと勝手なことをいう。Y夫妻は、安心できる老人施設を慎重に選びたいという。できれば二人一緒に入居して、同じ部屋で老後を過ごしたい。聞くところによれば、高い入所料金を巻き上げられて、ろくな世話もしてもらえない不幸な老人がいっぱいいるというから、自分たちは騙されないようにしなければならないなどと、言うことが次第に真剣じみてくる。

MはMで、自分たち夫婦には子どももおらず、金を残してやる人間もいないから、持っている金はすべて使い切ってから死ぬつもりだなどという。たしかにその通りだ。残した金は最後には大蔵省に横取りされてしまうのだから、生きているうちに使い果たした方がよい。とはいっても、いつまで生きるかがわからないままで、あまり急いで金を使うのも不安だ。金のない老後ほどみじめなものはないから、やはりいくばくかの金は残しておかねば気が済まぬ。

こんな話に現を抜かすのも、我々が年をとった証拠だろう。

最期に、今年の冬にはOも含めたこのメンバーで京都にでも旅しようではないか、という話になった。冬の京都も味わい深いと言うではないか。できたら京都御所や桂離宮も見物しよう。そんなことを話し合いながら席を立ったのは九時過ぎのこと。庭園を通って裏から外へ出ようとしたら、一般用の通用門は既に閉じられていた。また正門の方へ引き返すのは面倒だなと思っていると、Mがそこいらを探し回って、職員用の通用門を見つけ出した。そこから外へ出、神田川沿いに江戸川橋駅まで歩いて、地下鉄に乗った次第だった。






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