安倍首相の右傾封印は長続きするか

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オバマ大統領との間で尖閣防衛へのアメリカのコミットメントを確認できたり、韓国との間で冷え切っていた関係を修復できる可能性が出てきたり、このところ、安倍首相の外交状況は、一時期の状態に比べれば大分改善されてきた。中国との間でも、尖閣への公船侵入はやんだわけではないけれど、いままでと比べれば相手に自制の動きが見られる。

これらの動きが安倍首相の最近の言動によって促されていることは間違いない。安倍首相は、歴史認識に関するこれまでの歴史修正主義的な言動を抑制するばかりか、靖国参拝を当面はしないと対外的に声明することで、日中韓のカウンターパートに一定の安心感を与え、それが日本の陥っていた孤立の状態から脱する抜け道を開いたのだと考えられる。その辺の安倍首相の動向について、海外のメディアも一定の評価をしている。

たとえば Economist 誌だ。Springtime in Tokyo? と題する記事の中で、Economist誌は、安倍晋三は一私人としては歴史修正主義的な見方に染まったNationalistだが、政治家としては日本の国益を考える実務家たろうとしているとして、そうした首相の努力を評価している。

安倍首相としては、一私人としての心情倫理を優先させる余り、最大の同盟国であるアメリカとの関係まで損ない、それがもとで、中国につけ入るすきを与えることになるかもしれない、と真剣に考えたのであろう。その結果、日本の政治に少しは責任を持って当らねばならないという責任倫理に目覚めたのであれば、日本国民としても喜ぶべきことである。一国の指導者が心情倫理に駆られる余り、政治家としての責任を忘れる程、国民にとって不幸なことはないだろうからだ。

最近の安倍首相は、日本が世界に類例のない、すばらしくもかけがいのない国であることを強調するよりも、アメリカや韓国と同じ価値観を共有することを強調するようになった。日本の国際的な立場を強化するという意味では、これは正しいやり方である。

問題は、このやり方というか、安倍首相の「右傾封印」ともいえる今の政治的スタンスが、どこまで続くかということだ。日本国民としては、安倍首相がどこまでも責任倫理に基づいて行動し、自らの私的な信念にしばられぬ、柔軟で現実的な言動を続けるよう期待したいものである。







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