神奈川沖浪裏:北斎富嶽三十六景

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欧米では、北斎と言えばまずこの絵が言及されるほど有名な絵だ。北斎が初めてヨーロッパに渡った時から、この絵は北斎の代表作として受け取られた。クロード・モネはこれをアトリエの壁に架けて常に楽しんでいたと言うし、音楽家のドビュッシーは、交響曲「海」の楽譜の表紙に採用した。

北斎の、この絵のどこが西洋人の心を捉えたのか。色々な要素があると思うが、最も大きいのは、大胆な構図と力強い線だと思う。この絵はまず、逆巻く波を前景いっぱいに配置し、それとの対比で静かな富士の姿を遠景に配している。動と静、自然と人間のダイナミックな対比が大胆な画面構成のなかで強調されている。しかも、それらが力強い線によって表現されている。

こうした要素が、西洋人の眼には新鮮に映ったのだろう。構図の奇抜さはともかく、線を有効に使って絵を描くという手法は、西洋絵画の伝統とは明らかに異なっているので、その点では西洋美術に大きなインパクトを与えたのだと思う。ゴッホはジャポニズムの影響を最も強く受けたとされるが、その影響はゴッホの場合線の強調という形で表れている。

題名が物語っているのは、神奈川の沖で生じた大波の裏に富士が収まっているというような意味だと思う。逆立ちした大波そのものがダイナミックな動きを感じさせる上に、波に翻弄される三艘の船がまた重ねて動きを感じさせる。このような波の形は、海岸線近くで見られるもので、沖合に生じることは考えられないとする見方もあるが、北斎にはそんな常識は問題にはならない。北斎にとって大事なのは、構図の収まり方なのだ。その構図の都合上、絵が現実から多少遊離していても構わない。絵というものは現実の模倣ではなく、絵師が作るものだからだ、というような北斎の思いが伝わって来る。

絵の中の三艘の船については、房総方面から江戸に鮮魚を輸送する押送船だとする説があるが、押送船と言うのは、漕帆両用の小型船だ。この絵の中の船には帆はついていないから、これを押送船と考えるのは無理がある。どの船にも八人の漕ぎ手が乗っていることから、これは押送船から積み替えた荷を日本橋の市場に運ぶ高速船(八丁櫓船)だと考える方が相応しい。だがそうなると、船と浪との組み合わせに問題が出てくる。八丁櫓船が神奈川沖を走ることはないからだ。ここでも北斎は、絵の都合を優先するあまり、現実を多少折り曲げているのである。







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秋の3連休なのでゆっくり散人さんのサイトで好きな美術系を拾いながら見ていました。印象派中心にジャポニズムが広がり、モネも浮世絵ファンだったことはよく知られていますね。なんと睡蓮シリーズを描いた広い庭も太鼓橋まで作り和風仕立てだったようですね。確かに北斎の構図は写実中心の当時の西洋美術界では驚きだったと思います。最近会社の隣にある横浜美術館でモネ展があり、会社帰りに見てきましたが、この展覧会は国内各地の収集家作品をアレンジしたもので、海外美術館とのコラボでは無いにも関わらず、国内にもまだまだ多数のモネ作品があることを知りました。
なお昨日は連休初日で上野国立西洋美術館で多能で知られ、大工房を持ち作品を量産した画家ルーベンス展を見てきました。挫折・不遇が多い画家の中では外交官でもあり、大成功者ですね。また常設展の松方コレクションにいくつかのモネ作品があり睡蓮もありました。毎年1-2回は同館にはゆきますが、西洋美術史順にほぼ展示されており、庭と入り口すぐにはルネサンスを代表しダビンチと並ぶ巨匠のミケランジェロの作品群もあり、いつも圧倒されます。

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