森岡孝二「雇用身分社会」

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表題の「雇用身分社会」という言葉は著者の造語である。この言葉で著者が強調しているのは、派遣や契約社員、パート労働者といったいわゆる非正規雇用が雇用全体の四割に達し、その層に貧困が広がってゆく中で、格差社会が深刻化しているという問題意識である。雇用の形態は本来身分とは異なる概念であるはずだが、一人の人間がいったん非正規雇用の状態に置かれると一生そのステータスから逃れられなくなるばかりか、その人の貧困が子供にまで受け継がれてしまう。これはもはや雇用の多様化などといった言葉で合理化できる事態ではない。雇用の形態が身分に転化している状態であり、そんな状態が蔓延している今の日本は「雇用身分社会」というべきだ、と著者は考えるのである。

非正規雇用の拡大とそれに伴う格差社会の進展はここ30年ほどの間の現象だと著者は言う。その突破口になったのが中曽根政権時代の1985年に成立した「労働者派遣法」だ。この法律が、日本における非正規雇用の爆発的な増大に拍車をかけた。その後、何回かの改正を経て、いまでは派遣労働者制度は、労働者の無権利状態と貧困化を推進するエンジンになっている。そう著者は分析する。

派遣労働者制度は、戦前に横行していた労働者斡旋業を、近代的な装いのもとで復活させたものだ。これは労働者を、安上がりで手っ取り早く確保する制度として、戦前の経営者たちに大いに重宝がられたわけだが、戦後近代的な労働法制が整備されるにつれ、前近代的な労働者搾取だとして廃止されたのであるが、それが装いを新たにして復活してきたわけだ。新たな制度の導入時点では、働き方の多様化だとか専門的な労働にふさわしい制度とか、色々もっともらしい理屈がつけられていたが、いまではそんな理屈もなしに、とにかく労働者を経営者の都合のいいように使える制度になってきている。今日の法律に基づく労働者派遣制度と戦前の労働者斡旋業との間に、もはや本質的な差はない。

派遣労働者と並んで、契約労働者やパートタイム労働者がいるわけだが、これらの労働者も、低賃金と無権利という点では、派遣労働者と同等かそれ以下である。

こう書くと、非正規労働者の悲惨な状態ばかり強調するようだが、正規労働者にもさまざまな問題が発生してきている。正規労働者といえども、生涯雇用が保証されていると考えるのは甘くなってきているし、また長時間の残業を強いられて、非人間的な状態に追い詰められているものが増えてきている。非正規労働者の増加に伴う労働者階級の惨状は、正規労働者にも波及してきているわけである。つまり非正規労働の蔓延は労働者階級を全体として悲惨な状態に追いやっている、と著者は言うのである。

以上の分析を踏まえて、著者は人間らしい働き方とは何か、という問題提起をしている。人間らしい働き方のことを著者は「ディーセント・ワーク」と言っているが、どうしたらこの「ディーセント・ワーク」が確保できるのか。著者は、そのための条件をいくつか上げるのであるが、それを見ると、八時間労働制の確立だとか、性別賃金格差の解消だとか、どれも当たり前のことばかりである。その当たり前のことが、今の日本では守られていない。これは著者に指摘されるまでもなく、まともな日本人なら誰でも感じていることだろう。








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