鈴生と少年時代を回顧する

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鈴生とまた例の寿司屋で飲んだ。彼最近腰痛が悪化して居ても立ってもいられぬ日が続いたが、今日はなんとか歩くことが出来るようになったそうだ(痛め止めの効果もあるらしい)。そのついでにご母堂を近所の老人施設にショートステイさせたそうだ。なにしろ何ヶ月も風呂にも入らず寝たきりに近い状態なので、たまにはこういうところに入れて、オーバーホールをせねばならぬからね、ということだった。そのご母堂は今年九十九歳になり、痴呆の程度も大分進んできたが、あんたのことはまだ覚えているよ。今晩一緒に飲むと言ったらなつかしそうな顔をしていた。そう鈴生は言って、この調子だとまだ大分先まで生きそうだ、俺のほうが早く死にそうだし、またそう願いたいものだ、生きているのがもう面倒になった、と弱音を吐く。

ところで俺は先日、奈良・吉野へ一人旅をしたよ。吉野へ行くのは高校時代の修学旅行以来なので、その折のことを思い出そうとしたが、なかなか明瞭に思い出せない。ピンボケの写真みたいに曖昧なイメージが浮かんでくるだけだ。あの旅行にはお前さんも一緒に行ったはずだが、どうだい覚えているか。そう言うと鈴生は、ああ少しは覚えているよ、奈良の春日大社や京都の金閣・銀閣に行ったことを覚えている、たしか大阪にも行ったよな、というので、いや大阪には行っていない、吉野から奈良・京都へ回り、新幹線で帰って来た。行きも新幹線に乗って名古屋で下り、そこから近鉄に乗って吉野に行ったはずだ。その折に伊勢神宮に寄ったような気がするのだが、どうだい覚えているか、そう聞いたところが、伊勢神宮には行った記憶がないという。お互い半世紀も前のことなので、すっかり記憶がぼやけてしまったようだ。

たしか自由行動の時間があって、その時にはあんたと一緒に本能寺に行ったよな、そう鈴生が言うので、小生も本能寺に行った記憶が戻ってきたが、その時に同行したのが鈴生だったことまでは覚えていなかった。そうかあの時はお前さんと一緒に行動したのか、本能寺を見て何もないのにがっかりした後、六波羅密寺に行って空也上人が沢山の仏を口から吐き出している像を見たよな、と互いに当時のことを回顧しては懐かしい気分になった。

高校時代のことをよく覚えていないのだから、中学時代の修学旅行はもっと覚えていないだろう。一体どこに行ったっけかね、そう小生が言うと鈴生は、箱根じゃなかったかなと言う。いや箱根は小学校の修学旅行で行った。中学校の修学旅行は富士五湖じゃなかったかな。そう指摘すると、思いだした、そのとおりだ、と鈴生も相槌を打つ。俺がそれを思い出したのは、富士五湖のほとりの旅館で、悪童たちと一緒に風呂に入り、チンポコに毛が生えたかどうか見せ合ったことを覚えていたからだ。そう小生が言うと、俺のクラスはそんな下品なことはしなかったぞ、と鈴生は言った。

今回の旅行には村上春樹の小説「騎士団長殺し」を持参して大分読み進んだよ。なかなか面白かった。そう小生が言うと、なんだあんなくだらんもの読む価値などないよ。第一南京事件をめぐってとんでもないデマを流しているそうじゃないか。そう鈴生が厳しいことを言うので、村上ファンである小生としては、多少は村上のために弁護してみたが、鈴生はそれをまともに受けず、とにかく村上というやつはけしからんやつだと言うばかりである。彼に言わせれば、南京事件などは全く存在しなかった、中国側のでっち上げだ、ということらしい。

ところであんたは何か財テクをやっているか、と鈴生が聞くので、いやとくに何もやっていないと答えると、俺は株や不動産を転がしてそこそこの収益を上げている。その金で近く房州に別荘を買うつもりだ。そうしたら親しい連中を招いてやろうと思うから、あんたもよかったら来いよ、と言う。招かれれば行くよ、と答えると、鈴生は少年時代に仲良くしていた幾人かの名前をあげ、その連中も招いて付き合いを深めたいと言い出した。どうやら年のせいでノスタルジックな気分になっているらしい。それはともかく、あんたも財テクをやったらよかろうと重ねていうので、俺は別に金に執着しないたちだし、そんなことをやってる暇はない。老後の時間はもっと有意義に過ごしたいからね。金勘定ばかりやって無駄に時を費やすのは御免だ。そう言うと、金は執着するものではなく、使うものさ、だから俺も儲けた金で別荘を買ったりするわけだ。そう言って鈴生は、小生をあたかも世間知らずの意固地な年寄りの如く扱うのであった。

ともあれ、さっきは早く死んでしまいたいと言っていたくせに、これから別荘を買って友人を招いたりする計画に耽っているとは、随分矛盾した態度だ。まあ人間年をとると、矛盾が矛盾でなくなると見えて、一方で死んでしまいたいと思っては、もう一方では命や欲に執着するものと見える。要するに生きている限りは欲に惑うというわけであろう。

しかし欲に惑うのも身体が動く範囲でできることだ。鈴生は腰痛があまりにもひどいので、このままでは欲に惑うどころか、始終痛みに呻吟していなくてはならぬ。そういうわけだから近日中に腰の手術を受けるつもりでいる。その手術がうまくいって、身体の状態がよくなったら、また会って飲もう。そう鈴生が言うので、小生としても彼の手術の成功と健康の回復を祈念して、今宵はとりあえず別れることとした次第だ。仕上げに寿司数貫を食ったことは言うまでもない。





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