あん:河瀬直美

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河瀬直美の2015年の映画「あん」は、ハンセン氏病患者への差別をメインテーマにして、人と人との温かいつながりを描いた作品だ。題名の「あん」は、どら焼きのあんのことで、そのあんが三人の人々を結びつける。一人はハンセン氏病の患者で徳江という名の老婦人(樹木希林)、一人はどら焼き屋の店長千太郎(永瀬正敏)、そしてもう一人はそのどら焼き屋によく来る女子中学生ワカナ(内田伽羅)だ。

舞台は東京の多摩地方だろう。そこには実際にらい療養所があるから、そこの患者がモデルになっているのかもしれない。映画のなかで千太郎とワカナがそこを訪れる場面があるが、その中でハンセン氏病の入所者が映されていた。当然本人たちの了解を得て写したのだと思う。

徳江が千太郎の店にやって来てアルバイトをさせて欲しいと頼んだのは、仙太郎が彼女なりに気にかかったからだ。千太郎の途方に暮れたような表情を遠目に見て、他人ごとに思えなかったからだということになっている。そこで彼女は、どら焼きのうまいあんの作り方を千太郎に教えながら、生きる上での気力のようなものを持って欲しいと励ます。千太郎も彼女に励まされながら、生きる気力を取り戻す。実は千太郎には、暗い過去があって、それが理由で生きる気力を失いかけていたのだ。

徳江の作ったうまいあんが評判になって、千太郎の店は大いに繁盛する。ところがある日を境に客が寄り付かなくなる。徳江の病気が知れ渡って、人々が気味悪がったのだ。また、どら焼き屋の女オーナーも、徳江の病気に対して偏見をぶちまけ、彼女を追放するよう千太郎に言い渡す。そんな世間の圧力に千太郎は屈して、ついに彼女をやめさせる。

しばらくして千太郎とワカナがらい療養所に徳江を訪ねると、徳江がすでに死んだことを聞かされる。そして彼女が残したという録音テープを渡される。そこには千太郎への彼女のメッセージが吹き込まれていた。自分が何故千太郎に関心を抱いたのか、自分が苦しさの中からなんとか立ち直れたように千太郎にも立ち直って欲しい、生きることの意味をよく考えて欲しいという言葉が、そこからは聞こえて来た。それを聞かされた千太郎は、強い罪の意識にとらわれる。自分が徳江を守れなかったことに、罪悪感を抱いたのだ。

こういうわけでこの映画は、人間同士のつながりを描きながら、そこにハンセン氏病患者の差別という重いテーマを盛り込んでいる。らい予防法が改正され、ハンセン氏病患者への差別をなくす運動が本格化したのは1990年代のことだが、この映画が作られた2015年になっても、まだその差別が色濃く残っていたということだろう。それでこそ、この映画に社会的な意義が認められたのだと思う。結果としてハンセン氏病患者への差別についての啓蒙的な役割を果たしたのではないか。

ハンセン氏病患者への差別を扱った映画としては、戦前には「小島の春」があり、戦後には「砂の器」があった。「小島の春」では、ハンセン氏病患者は治安対策の標的という視点が前面に出ていて、かえって差別を助長するような内容だったし、「砂の器」は、ハンセン氏病患者の悲惨さばかり強調することで、やはりハンセン氏病への偏見を強めるような働きをしていたと言える。それらに比べるとこの映画は、ハンセン氏病を公正な目で評価し、それに対する世間のいわれなき偏見を啓蒙するようなところがある。そういう意味で、善意の意図を感じる作品である。

ともあれこの映画は、花見客でにぎわう公園の一角でどら焼きを売る千太郎の姿を映しながら終わる。そこに人間として生きる気力を取り戻し、自立できた仙太郎の姿を、観客は見ているのだと確信するのである。






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