先祖の話:柳田国男の日本宗教論

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柳田国男は学問と政治とを峻別したうえで、自分を含めて学者の使命は学問を実証的に研究することであって、政治的な発言は厳に慎むべきだという姿勢を取っていたが、この「先祖の話」では、かなり政治的な匂いのする発言をしている。その目的は、日本に古くから伝わって来た「家」というものを、未来永劫にわたって子孫に引き継いでいきたいという希望にあったようだ。その家というものを象徴するものとして柳田は先祖について語り、先祖に対する信仰が我が国古来の美風なのであって、まつりというものは、その先祖をまつることに一義的な意味があったということを、この本の中で解明してみせたのだと言ってよい。その意味ではこの本は、「日本の祭」と双子の関係にある。

柳田が家の存続に強くこだわったのは、家が存続の基盤を失いつつあったという危機感に駆られてのことだ。柳田がこの本を書いたのは敗戦前後のことであるが、その頃になって日本の家族制度が変動して、家の連続性がおびやかされつつある中で、戦死した人々をまつるべき家が存続しないでは、英霊も浮かばれないという危機感を柳田なりに抱いた。その危機感が柳田をして家の存続を強く主張せしめたというのが実情だったと思われる。とまれ、学問の政治的中立性に日頃強くこだわった柳田にしては、きわめて政治的な意図を感じさせる本である。

この本のなかで柳田が主張しているのは、日本人の宗教的な感情の本質は血縁への信頼であって、その感情が先祖崇拝を生み、それが先祖を神としてまつることにつながったということである。この先祖教ともいうべきものが日本人の宗教の実体なのであり、それは日本人がこの列島で生き始めたころから変わらないと柳田は見る。途中仏教の影響で多少の変化は生じたにしても、この先祖を神としてまつるということは、日本人の宗教意識の本質的な部分としてかわることがなかった。

そんなわけでこの本では、先祖をまつることを本質とする「まつり」についての民俗学的解明が主な目的となり、それと並んで、まつりへの仏教の影響の解明が二次的な目標となる。まつりの解明については、「日本の祭」と重複するところがある。また仏教のまつりへの影響の解明については、かなり独断的なところもあって、仏教学者を中心に批判もあるようだ。

後者の仏教の影響と言う点では、柳田は中世以降における仏教の民衆への信仰にもっぱら焦点を当てて、仏教の影響が比較的新しい現象のようにとらえているが、仏教が日本に到来したのは七世紀のことでもあり、かなり古い時点から日本人の精神生活に影響を及ぼしてきたと見る見方もある。そうした見方に立てば、仏教の影響を比較的新しいこととして限定的に捉えるのは間違ったアプローチだということになる。柳田の批判者は、柳田のそういうところに批判の目を向けているようである。

たとえば、「ほとけ」という言葉の解釈について。この言葉は俗説では仏教由来の言葉とされていたが、柳田はそうではなく、日本古来の言葉だとした。まつりに用いる先祖霊饗応用の器を古語では「ほとき」と言ったが、この言葉が転用されて「ほとけ」になったのだというのである。つまり、先祖をまつるための道具を意味する言葉が、先祖そのものを意味するようになっただけで、そこには仏教からの働きは認められないと柳田は見るのだが、批判者にはほとけという言葉が仏教伝来以後に使われたと言う歴史的な経緯に着目して、柳田の推論の根拠の甘さを批判するものもいる。

こういう齟齬は、検討資料の扱い方から主に生じてくるのであり、したがって、資料の充実によってただされるべき性質のものだ。それによって、方法論そのものが信頼を失うことにはならないだろう。

それにしても柳田の仏教に対する厳しい見方には目を引くものがある。そのへんは、本居宣長由来の国学に影響されているのかもしれない。仏教は家の存続には無関心で、あくまでも個人の救済を目的としているので、家の存続と先祖の崇拝に基礎を置く日本人の宗教的感情とは相いれないと考えているように聞こえる。

この本の最後の章で柳田は日本人の家へのこだわりについて次のように述べている。「家というものの理想は外からも内からも、いい頃加減にしてほったらかしておくわけには行かぬのである。日本のこうして数千年の間、繁り栄えて来た根本の理由には、家の構造の確固であったということも、主要なる一つとして認められている。そうしてその大切な基礎が信仰であったということを、私などは考えているのである」

このように考えるのであるから、柳田が家の存続を強く主張するには相当の理由があるわけである。

それはともかく、この本には、日本古来の宗教意識と仏教との関連についても興味深い考察が数多くなされており、宗教社会学的な問題意識にも十分こたえる内容になっている。






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