ソウル・キッチン:ファティ・アキン

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ファティ・アキンの2009年の映画「ソウル・キッチン」はドイツ風の人情喜劇といった趣の作品だ。ただし映画に出てくるのはドイツ人ばかりではない。主人公のジノス・カザンザキスはギリシャ人だし、その恋人の整体師アンナはトルコ人だ。そのほかアラブ人とか国籍不明の人間も出て来る。むしろそういったドイツにいる外国人たちがこの映画を盛り上げている。そういう点ではこの映画は、アキンの先行する作品同様、ドイツにおける少数民族に焦点を当てているといってよい。アキンは自分自身がトルコ系のドイツ人ということもあって、ドイツ社会における少数民族の生活に大きな関心を払い続けているということらしい。

舞台はハンブルグだ。そのさびれた一角に壊れかかったような倉庫が立っていて、それを利用してジノスというギリシャ系の若者がレストランを経営している。ソウル・キッチンというのは、そのレストランの名前だ。そのソウル・キッチンを舞台に様々な国籍の様々な人間たちが集まって来て、様々な人間模様を繰り広げるというのがこの映画の眼目だ。そういう点では日本映画「居酒屋兆次」に似ているところがないでもない。違うのは居酒屋兆次に出て来る人間たちがみな日本人であるのに対して、この映画に出て来る人間たちは様々な国籍を背負っていることだ。その点で舞台となるソウル・キッチンは人種のるつぼといってよい。

主人公のジノスには恋人がいて、彼女は単身上海にいってしまう。それと入れ替わりのように、刑務所を仮出所した兄が出てきて、なにかと弟にまつわりつく。その兄はソウル・キッチンのウェイトレス・ルチアと懇ろになる。ジノスはもともと自分一人でキッチンを切り盛りしていたが、ある店で出会った国籍不明のコックと仲良くなり、彼から料理の極意を教えてもらったりする。その料理がけっこう受け、また、兄が連れて来たミュージシャンの演奏が人気を博したりして、レストランは大繁盛する。

だがジノスにとって上り調子なのはここまでで、急速な転落に見舞われる。まず、腰を怪我して深刻なヘルニアになる。その治療のために支払う金がないので、ジノスは整体治療で痛みをごまかそうとする。そのうち恋人に会いたくなったジノスは上海にいく決意をするが、ハンブルグの飛行場で帰国してきたばかりの恋人と会う。ショックだったのは、彼女が中国人の恋人を連れていたことだ。これだけでもショックなのに、自分の店が友人を気取るドイツ人ノイマンに乗っ取られてしまう。兄が博打で負けたかたにレストランを土地ごと取られてしまったのだ。絶望したジノスは部屋に放火して自殺を図るが死にきれない。そこで取られたレストランを取り戻そうとして、権利書を盗んだりしようともする。だが何もかもうまくゆかない。

しかしここで天が恵みを垂れてくれる。ノイマンが脱税で収監され、取られたレストランが競売に賭けられたのだ。そこでジノスは昔の恋人から金を借りてレストランを買い戻す。こうして再び生きる希望を得たジノスは、整体師のアンナと新しい生活を始める決意をする、というのがおおまかな筋書きだ。

この筋書きから多少は伝わってくるように、ドイツ社会で懸命に生きようとする外国人たちの生態がこの映画の眼目だ。ジノスを始めドイツの外国人たちは、ドイツ人社会にうまく溶け込めないで、自分たちの独自のサブカルチャーを生きている。そこでのドイツ人とのかかわりは、弱い外国人が強いドイツ人に踏みにじられるというものだ。ジノスにしてからが、友人のドイツ人・ノイマンのカモにされ、大事なレストランを取られてしまう。また、税務所や衛生局といった官庁も、弱い外国人に対して威圧的に臨んで来る。そこで彼ら外国人のできることと言えば、ささやかな抵抗で憂さ晴らしをするくらいのことだ。映画の中では、客たちに出した料理に催淫材を混ぜて、ドイツ人たちをセックス奴隷にしてしまうところが描かれている。その場面では、取り立てに現われたドイツ女の徴税吏が、催淫材の効果のために猛烈な性欲を催し、尻を突き出して男にセックスを迫るといった具合だ。

そのあたりはちょっと趣味の悪さを感じさせるが、全体としてこの映画は、ドイツ社会に生きる外国人たちの生態をほろ苦いタッチで描いており、なかなか見どころの多い作品となっている。






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