江藤淳の夏目漱石論

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江藤淳には浩瀚にわたる漱石研究があるが、ここでは小論「明治の一知識人」を参照して江藤の漱石論の要諦を見てみたい。結論から先に言うと、江藤の漱石論は、漱石を国士とみるところに特徴がある。つまり漱石を、文学者としてよりは愛国者=ナショナリストとして高く評価しているのである。漱石の文学者としての意義は、江藤によれば愛国者=ナショナリストとしての一面を物語っているにすぎない。とうことは、江藤なりの愛国心が、漱石にも投影されているわけである。

江藤はまず、大正・昭和に比較した明治の作家の著しい特徴を、「その生活と思想のほとんどあらゆる位相を、圧倒的な西欧文化の影響下に曝した最初の日本の知識人であったにもかかわらず~というよりむしろその故に~つねに日本人としての文化的自覚を失わず、一種強烈な使命感によって生きていた人々であった」。つまり彼らは、個人としての自分をつねに国家と関連付けて意識していたのであり、その意味では強烈なナショナリズムを自覚していた。これに対して大正・昭和の知識人は、「ナショナリストであった明治作家に背を向けて、少なくとも主観的にはコスモポリタンとしての自己を誇りはじめた」という。

漱石も鴎外も、江藤のいうところのナショナリストの典型であったということになる。これが江藤の漱石についての見方のもっとも根本的なところである。ナショナリストとしての漱石、つまり愛国者としての漱石、というのが江藤の漱石論のアルファでありオメガであると言ってもよい。

江藤は、漱石のナショナリストぶりを二つの側面から解明する。ひとつは漱石の自己形成のプロセスであり、ひとつは彼の作品の内在的な分析である。この二つを通じて江藤は、漱石がいかに自分をナショナリストとして自己形成し、それを作品のなかに定着させたかということを解明しようとするわけである。

漱石が早稲田の古い庄屋身分の家に生まれ、数奇な少年時代を過ごしたことはよく知られている。この境遇が漱石の人格形成に及ぼした影響については様々な研究がなされているが、江藤はそうした部分をほとんど切り捨てて、漱石が庄屋身分に生まれたという事実をとりわけ強調する。江藤の考え方によれば、庄屋身分というのは、半分は町人だが半分は武士である。そしてその武士としての部分を漱石は最大限受け継いだということになる。その武士としてのアイデンティティが、漱石をナショナリストにしたというのが、江藤のレトリックである。

そのナショナリストとしての漱石がどのような作品を書いたのか。江藤は「こころ」を題材にして、漱石の作品世界の内在的な分析を試みる。その結果江藤が出した結論は、漱石は「こころ」を通じて、個人と国家との深いつながりを描いたということである。「こころ」の先生は、乃木大将の殉死に触発されて、彼の死に個人と国家との深いつながりを見たのであるが、そのつながりを自分自身と国家との間にも認め、自分も乃木将軍同様殉死する気になった。もとより彼の死への希求は、自分の犯した罪への深い反省に根差していたということには言及してはいるが、その反省の意識のみでは、彼を実際に死に向かって決意させることはできなかった。やはり、自分自身が国家と直接につながっているという自覚が、その決意を固いものにした。そういう意味で、「こころ」の先生もまたナショナリストだったのであり、それは漱石自身のナショナリストとしての一面を反映させたものだったということになる。

こうした江藤の漱石についての見方はかなり一面的だと言わざるを得ない。そしてその一面性は、江藤自身の自己イメージを無理やり漱石に当てはめようとするところに根差している、そう考えざるを得ない。

漱石の文業、すくなくとも長編小説の大部分、というか漱石の本格的な小説のほとんど全部といってよいものが、男女の性愛、とりわけ姦通と言うかたちをとった性愛をテーマにしていたことは紛れもない事実である。漱石の本格小説はほとんどすべて姦通小説なのである。姦通小説といっては語弊があれば、姦通を題材にした、あるいは姦通を背景設定にした小説といってよい。世界中の小説家で、生涯を通じて姦通にここまでこだわった作家はいない。江藤がこの小論で取り上げた「こころ」もまた、直接姦通をテーマにしているわけではないが、友人の恋人を奪ったという意味では、他人の女房を奪う姦通とあまり異ならない行為を先生はしたということになっている。その意味では「こころ」も、広い意味での姦通小説の一つなのである。

ここまで姦通、あるいは男女の性愛に拘った漱石を、ナショナリストとして、個人と国家との深い一体感をテーマとして追及した作家だったとは、どういう基準でいえるのか、筆者にはすっきりしないところがある。というもの姦通、あるいは男女の性愛ほど、国家とか天下とかナショナリズムと無縁なものはないと思うからである。漱石がこだわったのは、江藤がいうように、国家との関連における個人などではなく、国家などはそもそもの始めから眼中にない、男女の性愛にあったというべきなのである。

江藤は漱石とならんで鴎外をもナショナリストとして描いている。鴎外は軍人としてつねに国家のことを考える立場にあったから、彼が国家を意識したことは当然のことだ。だからといって、鴎外の文学的な業績もナショナリズムを強く感じさせるものだったとは言えない。江藤は、鴎外の場合にも乃木大将の殉死に触発されて晩年の一連の歴史小説を書くようになり、それらの小説の中で、個人と国家とのかかわりあいを追求したというような書き方をしているが、これも漱石論の場合と同じく、かなり一面的な見方だと言わざるを得ない。

鴎外が乃木将軍の殉死に触発されて書いた最初の小説は「興津弥五右衛門の遺書」であるが、この小説を通じて鴎外が書きたかったことは、江藤のいうような、いわゆる「明治の精神」で象徴されるようなナショナリズム意識などではなく、あくまでも個人としての武士の意地である。その意地の中には、個人と天下とのかかわりが含まれているのは否定できないが、主眼はあくまでも武士の人間としての意地である。つまりわたくしごとの世界である。そこには、個人を国家との緊張のうちで見る視点よりも、個人の内面の意地が問題として取り上げられているのである。

この小説以後鴎外は、もっぱら歴史に取材した小説を書き続けるようになるが、それらのいずれにおいても、個人と国家との緊張感はほとんど問題とはされておらず、個人の人間としての生き方、その多くは封建時代の風潮を反映して、意地とか面子とか、そういうことが中心となるのだが、いずれにしても天下国家のことは鴎外はほとんど問題とはしていない。そういう傾向は次第に強くなり、やがて「山椒大夫」のような、人間同士の愛をテーマに取り上げるようにもなる。そういう意味では鴎外は、江藤のいうような狭いナショナリストではなく、むしろ江藤の嫌うコスモポリタンだったといってもよい。

漱石にしろ鴎外にしろ、一人の人間としての生き方に拘った作家を、江藤のようにナショナリストとしての政治的な存在と一概にいうことはできない。彼らはむしろ、そういうナショナリズムを越えたヒューマニストだったというべきである。あるいは江藤の嫌ったコスモポリタンの資質を、漱石も鴎外も強く備えていたというべきである。





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