夫の憂鬱:大江健三郎「万延元年のフットボール」

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僕と妻とは小説の最初から破綻した夫婦として登場する。彼らが夫婦として破綻しているのは、彼らが互いに相手を無視していることに現われている。彼らが互いに無視しあっているのは、どうも意図的ではなく、互いに相手を思いやる余裕がなくなっているからだ。彼らをそうした状態に陥れた原因に、小説はあからさまには触れていないが、行間からは彼らが自分たちの子を見捨てたことだというふうに伝わって来る。自分の子を見捨てたという心のこだわりが、彼らを自分自身の内部に閉じ込めてしまったわけだ。それを裏書きするように、小説の最後で彼らが互いに和解する気になった時、その和解を後押しするものとして、かつて見捨てた子どもを取り戻し、一緒に育てようという気になったことがあげられる。つまり彼らは自分たちの子どもを見捨てることによって互いに離れてしまい、その子どもを取り戻すことによって、再び結びつく気になれたわけである。

しかしこの結びつきの回復は、僕にとっては大きな犠牲、というか痛みを伴った。というのも、夫との間の性的なつながりを断ち切った妻が、夫の弟に性的なはけ口を求めたからだ。妻は夫の弟のタカと公然とセックスし、その結果タカの子どもを妊娠する。そのことで夫の僕は深く傷つかずにはいない。猛烈な嫉妬の感情に苦しめられるのだ。嫉妬の感情は、何らかの形で愛を抱いている対象でなければ呼び起こされないものだ。だから僕は、突然の嫉妬の感情を通じて、自分がまだ妻と心でつながっていたことを認識させられるのだ。

妻が弟のタカとセックスする場面を、僕は直接見たわけではない。お人よしの青年星男からその様子を聞かされるのだ。その話があまりにも生々しいので、僕はそのさまを心のなかで想起して、強烈な嫉妬を覚える。その嫉妬が誰に向けられているのか、自分を裏切った妻に対してか、あるいは妻をそのような気持ちにさせた弟に対してか、その辺は不分明なまま、とにかく僕は嫉妬の感情に苦しめられるのである。

妻と弟のセックスは、星男や桃子の眼の前で公然と行われたということになっている。その様子を星男が生々しく描写する。彼らは星男の眼の前で性的な仕草を始め、弟が妻の胸や股を触ったので、星男はそんなことはやめろ、でないと夫に言いつけるぞと言ったのだったが、妻はそれに対して、言ってもいいのよと答えて、弟のなすがままにさせていた。そのうち妻は弟の尻の両側に脚を直角に立てて、弟を体内深く迎え入れた。要するに彼らは、第三者である星男の眼の前で、公然と性交をしたというのである。

セックスのあと、妻と弟とがしんみりと話し合う声が聞こえて来たと星男はその話の様子も語った。それらの話を聞いて僕は強烈な嫉妬を感じはしたが、怒りの感情は起らなかった。そんな僕を星男は軽蔑したような目で見る。自分の妻が寝取られたのにそれを怒らない男は、男の名に値しないというように。

妻が弟とセックスしたと知った時に、僕がとりあえずたどり着いた認識は、妻が性的なインポテンツの状態から回復したようだということだった。「鷹四によって妻が、われわれの夫婦生活の根本に巣くう癌であった性的な行為の不可能さの感覚から、ひとり回復したことを僕は認めた。結婚して以来はじめて、僕は、妻を真に独立している存在として理解する」と僕はいうのである。

僕との間では、妻は、性的な関係を自分のほうから破壊したのであったが、そしてそれは僕の勃起した男根を前に僕を激しく拒絶したことによって実証されていたわけなのだが、その妻の性的な可能性が、第三者である他の男、僕の弟のタカを前にして開かれたわけだ。しかし彼女の性的な能力は、僕以外の男に向かって開かれているだけで、僕に対しては開かれていないと僕は感じる。僕は色々な想念を心のなかで追うのだが、僕と妻を肉体的にも精神的にも結びつける手がかりは見つからない。

「もうひとつの想念は、妻の裸体がどのような形と色をしていたかについての頼りなく掴みがたい模索の過程だ。僕はエロチックな裸体に到ろうとするが、姦通の目撃者の証言によって実在感をあたえられたふたつの足の裏と、いちどお互いの気まぐれから試みた正常でない性交渉のために裂け目ができ、そこに肉がひと筋盛り上がった肛門の、ともに深く肉体に根差した嫌悪感のみをそそる細部の明確さに辿りつきうるのみである。しかも次第に、有毒の煙を吸いこんだような具合に気管をいがらっぽく熱くして、嫉妬心が実在しはじめる。その刺激性の煙は僕の意識の眼をも犯して、妻の裸体の細部は赤っぽく滲み、曖昧にぼやけてくる。僕は愕然として、自分がかつて妻を真に所有したことがないと感じる」

つまり、僕は完全にひとりで取り残され、やり場のない嫉妬のなかに閉じ込められてしまうのである。それは独りの人間として実に頼りないありさまだった。それ故弟が僕に面と向かって妻との姦通を認め、そのうえ妻と結婚するつもりだと宣言したときに、僕にはそれに反撃する気力は残されていなかったのである。このまま事態が推移すれば、僕は弟に妻を寝取られ、それになんら有効な反撃をできないままに、泣き寝入りする憐れな亭主に成り下がる所であった。しかし、そうはならなかったのは、弟のタカが自虐的な行動に走り、その挙句に自殺してしまうからだ。弟の自殺によって、目覚めていた妻の性的な能力は僕に向かって開かれるかもしれない。小説はその可能性をほのめかせながら終わるわけだが、その前に妻がなぜ僕の弟と姦通するに至ったのか、そこを見ておく必要がある。

妻が、僕や僕の弟とともに四国の山の中にやって来た時、彼女のコンディションは精神的にも身体的にも最低だった。東京で覚えたウィスキーのがぶ飲みを続けていたし、夫の僕とうち溶け合うことはなかった。僕が離れの蔵屋敷に住み始めた時、彼女は弟らと一緒に母屋で暮らし続けた。そして弟を身近で見ているうちに、次第に精神状態が安定してきた。その結果ウィスキーを飲まないでもいられるようになった。彼女が弟を性的に受け入れたのは、そうした安定状態のもとでのことだったのである。それ故彼女は、弟が生き続けていたら、彼と一緒に暮らすことを選んだかもしれない。僕との共同生活には展望が持てないが、弟となら新しい展望がひらけるかもしれない。

彼女が僕との間に、性的にも精神的にも結びつきを持てないのは、やはり見捨てた子どもの呪縛があったからだというふうに伝わって来る。彼らは一度だけ互いに性的欲望の高まるのを覚えたことがあったのだが、その際に妻は、勃起した僕のペニスを激しく拒絶した。その際に妻はこう弁解したのだ。

「自分の手があなたに触れたとたんに、私は大きい胎児を妊娠している状態に戻っているように感じたの。そして嵩ばって張り詰めている子宮が、性的な興奮から収縮して痛むのを感じはじめたのね。なにか大きなものを流産する、という恐ろしさで息がつまったわ。当然あなたには理解できないでしょう」

こんなわけだから、彼女が夫に性的な回路を開くのは将来に向かって不可能ごとのように思われたのだし、夫の僕はそのことを苦々しい気持ちながら受け入れざるを得なかった。妻が夫を避けるのは、夫のほうにも原因があると思うからだ。しかし夫にとって危機的なのは、妻が他の男に向かっては、性的に自由に振る舞えるようになったということだ。これは夫にとっては実にたまらないことだ。

しかし夫の僕にとって意外だったのは、女仇である弟が自殺してしまったことだ。そのことが僕にとっての転機につながる。弟との間で性的な回路を開いた妻が、弟がいなくなったあと、その回路を僕に向かって開く気持ちになったらしいのだ。小説はしかし、そう匂わせることで終わってしまうから、これはあくまでも読者の想像の範囲にとどまることだ。







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