折口信夫の芸能発展史論

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折口信夫は「国文学の発生」第四稿において、それ以前のまれびとや国文学発生論を踏まえながら、日本の芸能の発展史を概観している。折口の議論は直感に基づくものが多く、しかも話が前後してとりとめのないところがあるが、ここではいくつかの話題についてとりあげてみたい。

折口はまづ次のように書きだす。「私は、日本文学の発生点を、神授(と信ぜられた)の呪言に据えている」と。ここで折口が日本文学と言っているのは、文芸とか芸能という言葉で言い換えてもよい。折口が言いたいのは、日本の文芸とか芸能そしてそれらを含んだ広い意味での文学が神授としての呪言から出て来たということだ。

ここで折口が呪言といっているのは、厳密な意味では神の発する言葉である。それに対して人間から神に向かって奉る言葉が寿言(よごと)である。この両方を含めて神事の言葉といってよい。日本の文学とか芸能とかいうものは、この神事に起源がある、というのが折口の基本的な考え方だ。折口はその神事を、まれびととか常世の概念と結びつけて、ユニークな議論を展開してゆく。神事の中で人間によって奉られる神はまれびとして迎えられ、そのまれびとは常世の国とこの世とを往復するものと考えられた。

神事はもともと(天皇を含む)政治的支配者たちがみずから執り行っていたが、そのうち、これを専門に担う階層が出て来た。中臣とか斎部とかはその最たるものだ。この階層の中から、後に日本文学を担う人々が現れてきたというのが、折口の考え方である。その階層の分析はかなり輻輳していて、読んでいてわかりにくい部分が多いのだが、特に興味深いのは、こうした文芸の担い手として、ほかひびとと海女部の人々に折口が注目していることである。

ほかひびとのことは万葉集の中でも出て来るのでよく知られているが、その理解の仕方は折口によれば、かなりねじ曲がっている。一般的な理解としては、古代の乞食集団ということであるが、乞食が彼らの本質的なあり方なのではない。かれらの本質的なあり方は、神事としての寿言を披露することにある。「ほかひ」というのは、「ほく」と語源を同じくし、ことほぐすなわち祝うという意味なのである。それが乞食という意味を持つようになったのは、かれらが食と引き換えに芸を披露したことから来ているのである。

このほかひびとは、最初は権力者の庇護を受けていたが、そのうちその庇護から離れて独立するようになる。全国を歩き回りながら、ほかひの芸を披露し、食を乞うようになった。その過程で、ほかひの内容に様々な工夫が加えられるようになり、そこから色々な芸能が生まれて来た。日本の芸能は、古代から今日まで脈々として続いてきたが、どれひとつとして、突然出現したものはない。どれも先行する芸能と密接に結びついており、それらがいずれも古代のほかひに源を発しているのである。歌舞伎は能のあとに突然出て来たなどと気軽にいわれるが、それはものごとの表層しか見ない者の言い分だと折口は強調している。

ここで問題にとりあげられているほかひは、広義のほかひであるが、そのほかに狭義のほかひというものがある。この狭義のほかひは海女部との対立関係において考察される。どおちも広義のほかひとしての神事に従事していたのであるが、その担い手たる集団の出自が違うようなのだ。そのことから日本の芸能は、ほかひびとの系列と海女部の系列に別れて発展した。折口はさらに、ほかひびとを山人と、海女部を海人と結びつけて考察している。そして山人を日本の先住民と結び付けたりもしている。そこまでいくと牽強付会の疑いが出て来る。

折口は、日本の芸能の著しい特徴として「もどき」の存在を上げている。もどきというのは、シテの言うことについて、わざとその反対のことを言うて混ぜ返すもののことだが、これが日本の芸能を著しく特徴づけている。日本の古代の神事においては、呪言を発する神に対して、土地の精霊が受け答えをする。これを誓約(うけひ)というが、そのウケヒがもどきの形をとるのである。このもどきは、古代の宮廷神楽においては「才の男」というかたちをとり、千歳万歳においては才蔵となり、能においては狂言となった。江戸歌舞伎に猿若があるのは、このもどきの変形なのである。こういって折口は、「日本の演劇史に、もどき役の考えを落としたものがあったら、無意味な記録になってしまう」と強調している。

折口は物語の類を叙事詩と言い換え、それが呪言から直接出て来たと考えている。その叙事詩にはかたりの部分と歌いの部分とがあって、初めは両者が不可分の要素として含まれていたのだが、そのうち歌の部分が独立するようになる。日本で発達した和歌は、こうした経緯から生まれ出たものなのである。

かたりとは、物語の地の部分であって、うたはそのなかの抒情的な部分である。この抒情的な部分を単独に発展させると和歌になる、というわけである。折口はまた別のところで、旋頭歌の起源を、神と人との掛け合いに求めていたが、それが和歌の発生とどのような関係にあるのか、それについては突っ込んだ説明をしていない。






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