殯の森:河瀬直美

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「もがり」という言葉は、天皇が死んだ際に、新旧二人の天皇の、いわば引継ぎのようなことを目的に行われる行事で、天皇以外の一般の日本人には使われない言葉だが、この映画では、それを普通の日本人について使っている。折口信夫のような伝統主義者からは叱られるところだろうが、象徴的な意味合いとして用いるのなら許されるかもしれない。

映画の最後に近いところで、この言葉の、この映画における定義のようなものが出て来る。「もがりとは、敬う人の死をいたみ、しのぶ習慣、または場所のこと」だと。

この映画の中では、死は二つの形で示されている。一つは主人公たちの愛する人の死として、死によるかれらの不在として。もう一つは、登場人物自身の死として。この映画は、登場人物の一人が、自分の失った人の死をいたみながら、自分自身が死んでいくさまを描いているのである。

もがりの観念には、死とともに再生も含まれている。古い天皇が死に、その霊魂が新しい天皇に移る。そのことにより、霊魂は消えてしまうわけではなく、新しい天皇として再生すると考えられた。この映画では、死は二重に描かれているが、再生は描かれていないようだ。死者を見送る人はいるが、その人が死者の霊魂を得て、そのことで再生するというコンセプトはこの映画には見られない。

語義解釈はこのへんにして、映画の中身に入ろう。映画は、老人施設を舞台に展開する。そこの入居者の一人に、妻を失った孤独な老人がいる。また、夫を失った若い女性介護士がいる。この二人が、心の結びつきを感じ、二人だけで森の中にドライブに出かけ、そのあげくに迷い込んでしまう。その森の中での二人の彷徨の様子を、この映画は淡々と描き出すのである。

筋書きらしいものは、ほとんどない。森のなかをさまよい続け、最後には、孤独な老人が死ぬところを、若い介護士が見とるというものである。老人は死にぎわに、自分の大事にしていたものをリュックから出す。それはどうやら過去の日記らしい。その日記を老人は、地面に穴を掘って埋めようとする。どういう意図からそうしたいと考えたのか。それは画面からは明確には伝わってこない。ただ、その作業を終えたときに、老人は満足して死んでいくのである。

この映画は、日本でよりも、欧米で評判になったそうだ。その主な理由は、日本人の死生観がこめられていることと、映像に表現された日本の自然の美しさにあったという。たしかに、この映画が映し出した日本の自然は美しい。奈良県でロケをしたそうだが、里山のみずみずしい緑が実に鮮やかに迫って来る。

死生観という点では、映画の冒頭近いところで坊さんが出て来て説教をするところがある。老人施設に、医者ではなく坊主を登場させるところは、ちょっと洒落た細工といえる。





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