神楽坂で亡友を偲ぶ

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山子夫妻及び落の諸子と神楽坂で小宴を催した。例年ならこれに松子が加わるところだが、彼は昨年の秋に亡くなった。そこで彼を偲びながらの新年会となった。会場は毘沙門天前の路地を入った世喜という小料理屋。以前なんどか立ち寄ったことのある店だ。

寒風に吹かれながら飯田橋駅の西口を出ると、様子が大分違っている。駅舎周辺が工事中で、出口が以前のように西端ではなく、南側に折れ曲がったところにある。だから堀端には大回りしなければいけない。その堀を渡って、神楽坂を上り、毘沙門天前の路地に入ると、その突き当りに世喜はある。

店にはすでに三人が来てテーブル席に座っていた。以前は畳の上に座らせたものだが、テーブルに変えたのは、収容能力を増やそうという魂胆かららしい。神楽坂はいまや観光拠点の一つになっていて、客の数も増えているようなのだ。

早速ビールで乾杯する。あれから松子の細君とは連絡はとりあったのかねと山子に聞くと、いやとっていないという。長い付き合いだったのだから、せめて墓参りくらいはしてやりたいねというと、じゃあそのうち細君と連絡を取り合って段取りしようと山子はいう。彼には、両親と弟の墓があるはずだから、おそらくそこに一緒に入っているのだと思う。寺は横浜か川崎あたりだろう。近いうちに是非行ってみようと改めて諸子に念押ししたところだ。

それにしても、松子が亡くなってからまだ四か月しかならないのに、随分昔のことのような気がするね。人間年をとると時間の感覚が乱れるようだ。我々も、といっても山子の細君をのぞいての話だが、もう古希を過ぎてしまった。杜甫が人生七十古来希なりと詠んだときにはまだ六十にもなっていなかったし、彼自身七十まで生きるとは思っていなかっただろう。それほど七十という年は生きるのが希なものだったのに、いまでは誰でもその歳まで生きるのが当たり前になって、このままダラダラと生きていれば、いつの間にか百年以上たってしまうだろう。要するに我々は、人類にとって長い間壁となっていた時間の限界を軽く突破しつつあるわけだ。だから時間の感覚が乱れるのも無理はないのかもしれないね、などと妙に神学めいた話をしたことであった。

しかし、長生きするには歯が丈夫でないといけない、と山子が言い出した。自分は自前の歯がガタガタになったので、ついにインプラントをすることになった。そうかい、インプラントをするとどれくらいもつものかね、そう小生が尋ねると、二十年はもつという。それなら百年生きるためにはもう一度インプラントをやりなおすことになるのかね。もしそういうことになったら、うれしいのか厄介なのかわからんね。

ところで小生の書いた小説は読んでくれたかね、と皆に催促する。先日各人にメールで案内したうえ、是非書評をしてくれとたのんでおいたのだ。すると、いやあ随分と長い小説だね、と落子が拍子抜けの感想をいう。あれだけ長い小説を書くのにどうやってネタを集めたのだい、ともいうから、小説のなかでも触れておいたが、依田学海の日記をベースにして、それに近代史の出来事を交えながら書いたというわけさ、と答える。依田学海というのはなかなか面白い人間だね、あれは無論実在した人物なのだろう、と山子がきくから、それも小説の中で触れていた通り、小生の故郷ともいうべき佐倉の先人だ。その佐倉の先人が、通常とは違った目で明治維新を見ている。いままでは、明治維新は薩長史観といって、薩長中心のいわば勝者の視点から見られて来た。依田学海は佐倉藩士だから、敗者の立場の人間だ。その敗者の視点から明治維新を見たらどのように映るか。それを展開してみせるのがあの小説の大きな目的だった。それに自分自身の佐倉とのかかわりをからませて、あのような形で描いて見せたのさ。

小説はともかくとして、ロシア旅行記は面白かったですよ、と山子の細君が話を変える。随分と色々な目に遭ったのですね、ともいうから、ああ、いやな目にもあったけれど、いまから振り返ればなかなか愉快な旅でしたよ。一緒に行った仲間はみな気の置けない連中だし、ロシア料理もうまかった。それ以前に行ったドイツより、食い物の点ではロシアのほうがずっとよかったよ。そういうと、私も行ってみたいわ、ロシアもいいけど、中国あたりにも行ってみたい。そう山子の細君がいうので、そのうちこのメンバーでどこか近い外国にでも行ってみようかみたいな話になった。

松子が生きていた頃には、毎年彼がいろんなところに連れて行ってくれたけれど、彼がいなくなっても、気晴らしの小旅行は続けたいね、とあらためて言ったところ、はかの諸子も異存はないと答えた。そこでとりあえず今年はどこに行こうかという話になったが、ああでもいない、こうでもないと話しているうちに、淡路島から四国の金毘羅あたりを廻ろうということになった。新幹線で神戸まで行って、そこでレンタカーを借りて周遊すればいい。そのあたりの田舎道なら、わたしでも運転できますから、と山子の細君がいう。じゃあそうすることにしましょう。計画は小生が練って、近いうちに連絡します。

こんなわけで、今宵の小宴は亡友松子の回想から始まって、松子亡き後も、残された四人で小さな旅を楽しもうという話に終わった。年老いてなお、というより年老いたからこそ一層、旧交を大事にしようということだ。





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